捨てられない椅子
2012年01月15日
捨てられない椅子
背もたれが外れたのは10年も前のことである。
私の開発した高強力組紐で絞り何とか耐えている。
家を建てた時、両袖付きの机と購入したものだ。
30年以上愛用している。
最近、座席のカーバーも綻びだした。
「粗大ゴミに出しなさい」
と妻も娘も言う。
この椅子に座り、乱雑に物が置かれた机に向い
私は、多くの時間を過ごしてきた。
愛着はあるが、この傷み様は限度を越したかも知れない。
「捨てるしかないか」
代わりの椅子を見にデパートに行く。
どれも、ピントこない。
と言うより、代える決心がつかないのだ。
まだ、不自由無く座れるんだから・・・
座布団を敷けばカノンだって気持ちよさそう・・・
もう少し我慢し
春になったら庭で大改修してやろう。
なーに、椅子ぐらい私にだって直せるよ。
壊れかかった椅子に座り、今日もパソコンに向かっている。
(完)

にほんブログ村
背もたれが外れたのは10年も前のことである。
私の開発した高強力組紐で絞り何とか耐えている。
家を建てた時、両袖付きの机と購入したものだ。
30年以上愛用している。
最近、座席のカーバーも綻びだした。
「粗大ゴミに出しなさい」
と妻も娘も言う。
この椅子に座り、乱雑に物が置かれた机に向い
私は、多くの時間を過ごしてきた。
愛着はあるが、この傷み様は限度を越したかも知れない。
「捨てるしかないか」
代わりの椅子を見にデパートに行く。
どれも、ピントこない。
と言うより、代える決心がつかないのだ。
まだ、不自由無く座れるんだから・・・
座布団を敷けばカノンだって気持ちよさそう・・・
もう少し我慢し
春になったら庭で大改修してやろう。
なーに、椅子ぐらい私にだって直せるよ。
壊れかかった椅子に座り、今日もパソコンに向かっている。
(完)
にほんブログ村
タグ :椅子
快晴の甲斐駒へ(山と友と凡人S-63)
2011年12月31日
今年も今日一日となった。最後に登った甲斐駒の記録を書こう。
計画変更
三千メートルを越す百名山で唯一つ残る聖岳(3013m)にO、TKと登ることにする。
前日に飯田のホテルに泊り、翌朝タレンタカーで便ケ島まで行き、登山する計画だった。
ホテルもレンタカーの予約も完了した。
あとは天気を祈るだけと思っていた。
台風15号が南大東島近海に停滞し予報が芳しくない。
気にかかり、聖平小屋に電話する。
「便ケ島への林道は不通になっていますよ」
との返事だ。
さあ大変、出発は2日後だ。
慌ててホテルとレンタカーをキャンセルし、2人に連絡する。
「甲斐駒なら大丈夫だろう」
行く先変更を決める。
北沢峠にある山小屋に電話する。
4つある山小屋全て、この連休は満員だと言う。
北沢長衛小屋にはテント場がある、4人用テントを担いで行くことにした。
長衛荘へ
17日早朝、TKとJRで倉敷を立つ。
4人用テントが入っているのでザックが重い。
名古屋から高速バスで伊那駅に、そこでOと合流する。
午後3時長衛荘前に着く。
「こんにちは、予約してないのですが満員ですか」
「飛び込みですか・・・・3人ですか、いいですよ」
どうやら、台風の影響でキャンセルがあった様だ。
「これは、助かった。雨でも降ったらテントは大変だからな」
ストーブで暖をとっていると、裸足(4月の雪の降る日でもは草履をはいていた)の小母さんが見当たらない。
前回来たときは丼一杯の山菜漬を御馳走になったのだ。
是非お礼を言いたかったのだが。
アルバイトの若いスタッフの案内で2階の寝床を確保する。
山小屋の夕食は楽しい。
「予報では、明日は快晴で絶好の登山日和になるでしょう」
管理人が嬉しいことを言ってくれた。
快晴の甲斐駒へ
4時、朝食代わりのオニギリを貰い、山荘横の急斜面を登る。
ヘッドライトに導かれ高度を稼いで行くと間もなく双児山に着いた。
ご来光はハッキリ意識しないうちに過ぎた様だ。
目の前に深い沢があり、そこ
から駒津峰が立ちはだかる。
峰の上方に朝日を浴びて鋭い岩峰の甲斐駒が顔を出している。
「あそこまで登るのか」
という気持ちと
「頂上が見えれば、しめたものだ」
という気持ちが入りまじる。
駒津峠から又沢を下りて本峰に取りつく。
「直登コースを行きましょう」
体力に自信のあるTKが言う。
頂上が見えているのだから何とかなるだろうと後に続く。
しかし、このコースはかなり厳しい。岩登りを得意としない人は避けた方が良い。
「うわ・・凄い。360度全てが見える・・」
広々とした山頂(2,967m)、その上には紺碧の空が広がっていた。
信仰の山にふさわしく、山岳神社や大きな石の祠がある。
それよりなにより、富士、鳳凰三山、北岳、そして少し遠くに槍・穂高の北アルプスが見渡せるのだ。正に圧巻である。
直ぐ前になだらかな稜線の仙丈ヶ岳がある。
「仙丈に登った時も、5月であったが今日と同じ快晴であったな」
と思い出しながら、長衛荘のオニギリを食べ、バランタインを一口飲み満足していた。
下山は迂回路を行く。直下の魔利支天に寄り、駒津峰へ。
ここから仙水峠経由で下山する。
長衛荘前のテラスで、バーナーを焚き、テント泊用に持ってきた食糧とビールで無事下山を祝し宴とする。
仙流荘の温泉に浸かり、満足し帰路についた。
(完)

にほんブログ村

にほんブログ村
計画変更
三千メートルを越す百名山で唯一つ残る聖岳(3013m)にO、TKと登ることにする。
前日に飯田のホテルに泊り、翌朝タレンタカーで便ケ島まで行き、登山する計画だった。
ホテルもレンタカーの予約も完了した。
あとは天気を祈るだけと思っていた。
台風15号が南大東島近海に停滞し予報が芳しくない。
気にかかり、聖平小屋に電話する。
「便ケ島への林道は不通になっていますよ」
との返事だ。
さあ大変、出発は2日後だ。
慌ててホテルとレンタカーをキャンセルし、2人に連絡する。
「甲斐駒なら大丈夫だろう」
行く先変更を決める。
北沢峠にある山小屋に電話する。
4つある山小屋全て、この連休は満員だと言う。
北沢長衛小屋にはテント場がある、4人用テントを担いで行くことにした。
長衛荘へ
17日早朝、TKとJRで倉敷を立つ。
4人用テントが入っているのでザックが重い。
名古屋から高速バスで伊那駅に、そこでOと合流する。
午後3時長衛荘前に着く。
「こんにちは、予約してないのですが満員ですか」
「飛び込みですか・・・・3人ですか、いいですよ」
どうやら、台風の影響でキャンセルがあった様だ。
「これは、助かった。雨でも降ったらテントは大変だからな」
ストーブで暖をとっていると、裸足(4月の雪の降る日でもは草履をはいていた)の小母さんが見当たらない。
前回来たときは丼一杯の山菜漬を御馳走になったのだ。
是非お礼を言いたかったのだが。
アルバイトの若いスタッフの案内で2階の寝床を確保する。
山小屋の夕食は楽しい。
「予報では、明日は快晴で絶好の登山日和になるでしょう」
管理人が嬉しいことを言ってくれた。
快晴の甲斐駒へ
4時、朝食代わりのオニギリを貰い、山荘横の急斜面を登る。
ヘッドライトに導かれ高度を稼いで行くと間もなく双児山に着いた。
ご来光はハッキリ意識しないうちに過ぎた様だ。
目の前に深い沢があり、そこ

から駒津峰が立ちはだかる。
峰の上方に朝日を浴びて鋭い岩峰の甲斐駒が顔を出している。
「あそこまで登るのか」
という気持ちと
「頂上が見えれば、しめたものだ」
という気持ちが入りまじる。
駒津峠から又沢を下りて本峰に取りつく。
「直登コースを行きましょう」
体力に自信のあるTKが言う。
頂上が見えているのだから何とかなるだろうと後に続く。
しかし、このコースはかなり厳しい。岩登りを得意としない人は避けた方が良い。
「うわ・・凄い。360度全てが見える・・」
広々とした山頂(2,967m)、その上には紺碧の空が広がっていた。
信仰の山にふさわしく、山岳神社や大きな石の祠がある。
それよりなにより、富士、鳳凰三山、北岳、そして少し遠くに槍・穂高の北アルプスが見渡せるのだ。正に圧巻である。
直ぐ前になだらかな稜線の仙丈ヶ岳がある。
「仙丈に登った時も、5月であったが今日と同じ快晴であったな」
と思い出しながら、長衛荘のオニギリを食べ、バランタインを一口飲み満足していた。
下山は迂回路を行く。直下の魔利支天に寄り、駒津峰へ。
ここから仙水峠経由で下山する。
長衛荘前のテラスで、バーナーを焚き、テント泊用に持ってきた食糧とビールで無事下山を祝し宴とする。
仙流荘の温泉に浸かり、満足し帰路についた。
(完)
にほんブログ村
にほんブログ村
新しいマットで昼寝
2011年12月08日
新しいマットで昼寝
お父さんが新しいマツトをくれたワン
なんでも、顧問している会社がペット用に開発したもので
横浜の有名な動物病院でも使われていとか
寝たきりの大型犬でも床ずれになりにくいらしい
カノンは、まだ元気だしマミちゃんにしつかりダイエットさせられているので関係ないけど
ファファ弾力があり気持ちがいいので昼寝をしています
お父さんは、
最近の本は読む気がしないといって
古い文学全集を引張り出し、読みだしました
「吾輩は猫である」という名もない猫が結構思考力が高いそうで
私の頭を撫ぜながら
「カノンの小さい脳みそでは無理だな」
といいます。
何を言います
猫より犬の方が頭がいいですよ
警察犬は居るけど警察猫はいないでしょ
ドン松五郎先輩も本に語られてるし・・
名もない猫はビールを舐めて
水甕に落ちて死んだじゃないですか
カノンは、そんなへましないもん
寒くなってきたけど毛布に包り、
お父さんの自転車に乗り散歩してます
暮れには、チェリとトモが来るかな
カノン

にほんブログ村

にほんブログ村
お父さんが新しいマツトをくれたワン
なんでも、顧問している会社がペット用に開発したもので
横浜の有名な動物病院でも使われていとか
寝たきりの大型犬でも床ずれになりにくいらしい
カノンは、まだ元気だしマミちゃんにしつかりダイエットさせられているので関係ないけど
ファファ弾力があり気持ちがいいので昼寝をしています
お父さんは、
古い文学全集を引張り出し、読みだしました
「吾輩は猫である」という名もない猫が結構思考力が高いそうで
私の頭を撫ぜながら
「カノンの小さい脳みそでは無理だな」
といいます。
何を言います
猫より犬の方が頭がいいですよ
警察犬は居るけど警察猫はいないでしょ
ドン松五郎先輩も本に語られてるし・・
名もない猫はビールを舐めて
水甕に落ちて死んだじゃないですか
カノンは、そんなへましないもん
寒くなってきたけど毛布に包り、
お父さんの自転車に乗り散歩してます
暮れには、チェリとトモが来るかな
カノン
にほんブログ村
にほんブログ村
タグ :ペット用マット
八幡平・岩手山・早池峰登山(S-62)
2011年11月23日
東北支援登山2
那須・吾妻山登山に続き、東北震災復興支援を名目に登山計画をたてる。
KIにメールするが、何時ものことながら返信がない。
震災前からなので生きているのか死んでいるのか・・・
高校同期4人での登山は諦め、会社の後輩に声をかける。
TKから「お盆休みなら行ける」という返事がきた。
8月11日、午後8時30分倉敷を出発、
両備ママカリライナーは東京駅に翌日6時半に着いた。
新幹線ホームに急ぎ仙台行きに飛び乗る。
仙台から全車指定の「やまびこ」に乗り継ごうとしたが、お盆でもあり満員である。
時間に余裕がないのでデッキに立ち盛岡へ。
八幡平へ
盛岡の街に震災の影は見られない。
駅レンタカーで軽四を借り、八幡平に向う。
晴れているが、アスピーテラインを登っていくと前方が濃い雲に覆われてくる。
湿った空気が山にあたり霧と雲になっているようだ。
頂上駐車場には数台の車があるだけで、観光客も少なく、レストハウスは閉鎖している。
道沿いの登山口から石畳の道へ。
車椅子でも登頂可能なコースだ。
ガスが出て、展望は望めない。
道端に咲いている花がせめてもの慰みか。
午後1時50分頂上に着く、見晴らし台に上がるが展望は叶わず。
「晴れると、岩手山、早池峰が綺麗なのでしょうね」
恨めしそうに、夫婦連れが話しかける。
「このプレートで我慢しましょう」
と笑って答える。
銅プレートには岩手山、早池峰の見える方向が絵と共に示めされている。
鏡沼の畔にニッコウキスゲが咲いている。
クルマユリ、それに黄色い花はキンバエのなかまか。
午後3時、アスピーデライン途中の展望台から岩手山が頂上まで雄大な姿を現わす。
カーナビを「お山の湯」にセットし日帰り温泉に向かう。
温泉にゆっくり浸かり、汗を流す。小岩井牧場の牛乳が旨い。
馬返しキャンプ場では、2人組がテントを張り、その前で食事していた。
我々もその横に各々のテントを張り、夕食の準備をする。
霧ケ峰や剱岳のことを話しながら楽しい食事となった。
久しぶりのマイテントだ。気兼ねなくゆっくり寛げる。
スルメと柿の種を摘みにウイスキーをチビリチヒリ・・・
夜空には星も出ており、明日は天気になると確信しシュラフに潜り込む。
岩手山登頂
4時起床、軽く朝食を済ませ、5時10分登山口をスタート。
樹林を抜けた頃には青空が見え、頂上での眺望が期待される。
不動平から火山砂礫の斜面を登る。
9時、御鉢の入り口に着く。ガスがかかり何も見えない。
一瞬、ガスが流れる。妙高、薬師岳が姿を現わす。

慌ててカメラのシャッターを押す。
TKがポーズをとり記念写真に納まろうとするが、シャッターを押す前に霧が流れてきて何も見えなくなった。
視界10mの御鉢を時計回りに歩く。
コマクサが咲いていると聞いていたがなかなか見当たらない。
ようやく御鉢の斜面にポツンと一輪あるのを見つける。
小さな祠が道端のあちこちにある。
登山談義をしながら薬師岳へと向かう。
山登りは運が付きものである。
いつでも晴れ男で通せるわけもない。
特に今年は異常気象の様だ。
麓は晴れていても、太平洋から暖かい湿った空気が山に当たり頂上付近だけがガスがかかるのだ。
「今年は、晴れ男返上だな」
と私も弱気となる。
9時10分、薬師岳頂上。数人の登山者と会う。
眺望が叶わないので山頂標識と写真におさまり、左廻りで来た地点まで戻る。
骨折以来、下山がしんどくなる。
バランス感覚が悪くなったのと、転倒が不安なので一歩一歩足を運ぶと体重が足先にかかり、親指の爪が痛いのだ。たぶん出血しているのだろう。
標準タイムギリギリで下山した。
下界は日が照っている。テント場の木陰で大の字となり暫し寝ることにする。
気持ちの良い一時だ。
昨日と同じ温泉に浸かり、早池峰山の麓にある「うすゆき山荘」にカーナビをセットする。
途中、スコールの様な激しい雨が降ってきた。
早池峰山へ
山荘に着いた時は薄暗くなっていた。
管理人はいないが立派な山小屋である。我々以外に利用者はなく貸切であった。
ヘッドライトを頼りにバーナーで夕食を作る。
お湯を入れ15分待つと出来るご飯。
それにレトルトカレーを温めかけて主食とする。
湯でああためると出来る焼き鳥、缶詰に途中のコンビニで買ったトマトを輪切りにする。
私はビール、TKは焼酎のお湯割りで乾杯する。
山ではこれで十分な宴だ。
シュラフに潜り眠りかけた頃、2人の客が入ってくる。
登山ではなく渓流釣りの様だ。
大声で話、焼き肉を始めた。
3時半に起きる。雨は上がった様だ。
したくをし、4時には山小屋をあとにした。
河原坊登山口よりコメガモリ沢を登る。
河原の石で詰まった沢を進み、7合目頭垢離で尾根から分かれる。
打石、千丈が岩と巨石、巨岩の厳しい登りである。
残念である。頂上はガスに覆われていた。
奇岩が沢山あり、神社の祠が多くある。
TKは広い山頂を散策しているが、私は疲れもあり岩陰に腰を下ろしオニギリを食べ休憩していた。
帰りも、同じコースを下山する。岩場の下山はしんどい。
天候は回復し、多くの登山者が登ってくる。
聞くと、皆登りコースを河原坊にするが下山は小田越コースにすると言う。
河原坊ピストンとしたのが悔やまれる。
ウスユキ草にも出会うことが出来なかった。
親指の爪が充血し痛い。
復興支援
今回の名目は東北復興支援2である。
テント、山小屋泊では地元にあまりお金を落としていない。
温泉を調べると「矢巾温泉」とある。
カーナビを頼りに進と盛岡の西、小高い山際まで来てようやく温泉の看板をみつけた。
後で知ったのであるが、「銀河鉄道の夜」の舞台となったのは此処矢巾町の南昌山であるという。
国民保養センターで温泉に入り、ビールと昼飯を食べる。
御土産を買い、盛岡へ。
「やまびこ」「のぞみ」と乗継、長い家路の旅が続く。
「一番お金を落としたのは、JRへだったな」
「JR東日本も被災にあつたのだから、良いんじゃない」
車内でビールを片手に「米沢牛弁当」を食いながらTKと笑う。
(完)

にほんブログ村
那須・吾妻山登山に続き、東北震災復興支援を名目に登山計画をたてる。
KIにメールするが、何時ものことながら返信がない。
震災前からなので生きているのか死んでいるのか・・・
高校同期4人での登山は諦め、会社の後輩に声をかける。
TKから「お盆休みなら行ける」という返事がきた。
8月11日、午後8時30分倉敷を出発、
両備ママカリライナーは東京駅に翌日6時半に着いた。
新幹線ホームに急ぎ仙台行きに飛び乗る。
仙台から全車指定の「やまびこ」に乗り継ごうとしたが、お盆でもあり満員である。
時間に余裕がないのでデッキに立ち盛岡へ。
八幡平へ
盛岡の街に震災の影は見られない。
駅レンタカーで軽四を借り、八幡平に向う。
晴れているが、アスピーテラインを登っていくと前方が濃い雲に覆われてくる。
湿った空気が山にあたり霧と雲になっているようだ。
頂上駐車場には数台の車があるだけで、観光客も少なく、レストハウスは閉鎖している。
道沿いの登山口から石畳の道へ。
車椅子でも登頂可能なコースだ。
ガスが出て、展望は望めない。

道端に咲いている花がせめてもの慰みか。
午後1時50分頂上に着く、見晴らし台に上がるが展望は叶わず。
「晴れると、岩手山、早池峰が綺麗なのでしょうね」
恨めしそうに、夫婦連れが話しかける。
「このプレートで我慢しましょう」
と笑って答える。
銅プレートには岩手山、早池峰の見える方向が絵と共に示めされている。
鏡沼の畔にニッコウキスゲが咲いている。
クルマユリ、それに黄色い花はキンバエのなかまか。
午後3時、アスピーデライン途中の展望台から岩手山が頂上まで雄大な姿を現わす。
カーナビを「お山の湯」にセットし日帰り温泉に向かう。
温泉にゆっくり浸かり、汗を流す。小岩井牧場の牛乳が旨い。
馬返しキャンプ場では、2人組がテントを張り、その前で食事していた。
我々もその横に各々のテントを張り、夕食の準備をする。
霧ケ峰や剱岳のことを話しながら楽しい食事となった。
久しぶりのマイテントだ。気兼ねなくゆっくり寛げる。
スルメと柿の種を摘みにウイスキーをチビリチヒリ・・・
夜空には星も出ており、明日は天気になると確信しシュラフに潜り込む。
岩手山登頂
4時起床、軽く朝食を済ませ、5時10分登山口をスタート。
樹林を抜けた頃には青空が見え、頂上での眺望が期待される。
不動平から火山砂礫の斜面を登る。
9時、御鉢の入り口に着く。ガスがかかり何も見えない。
一瞬、ガスが流れる。妙高、薬師岳が姿を現わす。

慌ててカメラのシャッターを押す。
TKがポーズをとり記念写真に納まろうとするが、シャッターを押す前に霧が流れてきて何も見えなくなった。
視界10mの御鉢を時計回りに歩く。
コマクサが咲いていると聞いていたがなかなか見当たらない。
ようやく御鉢の斜面にポツンと一輪あるのを見つける。
小さな祠が道端のあちこちにある。
登山談義をしながら薬師岳へと向かう。
山登りは運が付きものである。
いつでも晴れ男で通せるわけもない。
特に今年は異常気象の様だ。
麓は晴れていても、太平洋から暖かい湿った空気が山に当たり頂上付近だけがガスがかかるのだ。
「今年は、晴れ男返上だな」
と私も弱気となる。
9時10分、薬師岳頂上。数人の登山者と会う。
眺望が叶わないので山頂標識と写真におさまり、左廻りで来た地点まで戻る。
骨折以来、下山がしんどくなる。
バランス感覚が悪くなったのと、転倒が不安なので一歩一歩足を運ぶと体重が足先にかかり、親指の爪が痛いのだ。たぶん出血しているのだろう。
標準タイムギリギリで下山した。
下界は日が照っている。テント場の木陰で大の字となり暫し寝ることにする。
気持ちの良い一時だ。
昨日と同じ温泉に浸かり、早池峰山の麓にある「うすゆき山荘」にカーナビをセットする。
途中、スコールの様な激しい雨が降ってきた。
早池峰山へ
山荘に着いた時は薄暗くなっていた。
管理人はいないが立派な山小屋である。我々以外に利用者はなく貸切であった。
ヘッドライトを頼りにバーナーで夕食を作る。
お湯を入れ15分待つと出来るご飯。
それにレトルトカレーを温めかけて主食とする。
湯でああためると出来る焼き鳥、缶詰に途中のコンビニで買ったトマトを輪切りにする。
私はビール、TKは焼酎のお湯割りで乾杯する。
山ではこれで十分な宴だ。
シュラフに潜り眠りかけた頃、2人の客が入ってくる。
登山ではなく渓流釣りの様だ。
大声で話、焼き肉を始めた。
3時半に起きる。雨は上がった様だ。
したくをし、4時には山小屋をあとにした。
河原坊登山口よりコメガモリ沢を登る。
河原の石で詰まった沢を進み、7合目頭垢離で尾根から分かれる。
打石、千丈が岩と巨石、巨岩の厳しい登りである。
残念である。頂上はガスに覆われていた。
奇岩が沢山あり、神社の祠が多くある。
TKは広い山頂を散策しているが、私は疲れもあり岩陰に腰を下ろしオニギリを食べ休憩していた。
帰りも、同じコースを下山する。岩場の下山はしんどい。
天候は回復し、多くの登山者が登ってくる。
聞くと、皆登りコースを河原坊にするが下山は小田越コースにすると言う。
河原坊ピストンとしたのが悔やまれる。
ウスユキ草にも出会うことが出来なかった。
親指の爪が充血し痛い。
復興支援
今回の名目は東北復興支援2である。
テント、山小屋泊では地元にあまりお金を落としていない。
温泉を調べると「矢巾温泉」とある。
カーナビを頼りに進と盛岡の西、小高い山際まで来てようやく温泉の看板をみつけた。
後で知ったのであるが、「銀河鉄道の夜」の舞台となったのは此処矢巾町の南昌山であるという。
国民保養センターで温泉に入り、ビールと昼飯を食べる。
御土産を買い、盛岡へ。
「やまびこ」「のぞみ」と乗継、長い家路の旅が続く。
「一番お金を落としたのは、JRへだったな」
「JR東日本も被災にあつたのだから、良いんじゃない」
車内でビールを片手に「米沢牛弁当」を食いながらTKと笑う。
(完)
にほんブログ村
アラ古希も青春す
2011年10月23日
還暦が過ぎてから大学の同期会が毎年行われるようになった。
昨年は旭岳の麓、湧駒荘で行われた。
その席で、次回の開催地は倉敷と決まり私が幹事となった。
10月16日の倉敷は、阿知神社のお祭りで、神輿や素隠居が出て、古民家には屏風が飾られ美観地区は賑わっていました。
同期会参加者は20人と多く、内3人は夫婦で北海道から旅行がてら訪れていました。
国際ホテルで同期会を終えた後、二次回を妻のライブ喫茶でしました。
後半はボーカルのお姉さんに頼み、よき昭和の懐かしい歌を皆で歌い当時の歌声酒場を彷彿させる盛り上がりとなりました。
翌日、同じ講座の3人に研究室の女史を加え岡山の居酒屋でミニ会をしました。
大学院時代のエビソード、鈴蘭刈り、祝津や有珠海岸への小旅行、空沼登山など楽しい想い出が蘇りました。
「明日は青春に戻り、吉備路をサイクリングしょう」
と提案すると
「アラ古希で、白髪と禿で青春は無理だろう。でも楽しそうだな」
とMがいい、NもU嬢も賛成し、青春サイクリングをすることにしました。
さて、青春をするには多少のルールがあります。
一つ、相手の顔は遠目でみる。輪郭だけを見て、学生時代の顔を連想する。
二つ、できれば、帽子、サングラスを着用する。
三つ、アップの写真は撮らない。景色を中心に人物は小さくする。後ろ姿が好ましい。
秋晴れの吉備路をレンタサイクルのママチャリで出かけます。
刈り入れ前の黄金の稲穂、ピンクのコスモス畑、小山のような古墳群、国分寺と五重塔を見ながらペダルをこぎます。
柿の木の下で西瓜の代わりにピオーネを食べました。
「青い山脈」の若々しいサイクリングにはほど遠かつた感がありますが、風景には満足できたました。
帰りにサンロード吉備路で温泉に浸かり、アラ古希青春を終えました。
蛇足ながら、フォト575を真似て一句
アラ古希も 遠目し偲び 青春し

(完)

にほんブログ村
昨年は旭岳の麓、湧駒荘で行われた。
その席で、次回の開催地は倉敷と決まり私が幹事となった。
10月16日の倉敷は、阿知神社のお祭りで、神輿や素隠居が出て、古民家には屏風が飾られ美観地区は賑わっていました。
同期会参加者は20人と多く、内3人は夫婦で北海道から旅行がてら訪れていました。
国際ホテルで同期会を終えた後、二次回を妻のライブ喫茶でしました。
後半はボーカルのお姉さんに頼み、よき昭和の懐かしい歌を皆で歌い当時の歌声酒場を彷彿させる盛り上がりとなりました。
翌日、同じ講座の3人に研究室の女史を加え岡山の居酒屋でミニ会をしました。
大学院時代のエビソード、鈴蘭刈り、祝津や有珠海岸への小旅行、空沼登山など楽しい想い出が蘇りました。
「明日は青春に戻り、吉備路をサイクリングしょう」
と提案すると
「アラ古希で、白髪と禿で青春は無理だろう。でも楽しそうだな」
とMがいい、NもU嬢も賛成し、青春サイクリングをすることにしました。
さて、青春をするには多少のルールがあります。
一つ、相手の顔は遠目でみる。輪郭だけを見て、学生時代の顔を連想する。
二つ、できれば、帽子、サングラスを着用する。
三つ、アップの写真は撮らない。景色を中心に人物は小さくする。後ろ姿が好ましい。
秋晴れの吉備路をレンタサイクルのママチャリで出かけます。
刈り入れ前の黄金の稲穂、ピンクのコスモス畑、小山のような古墳群、国分寺と五重塔を見ながらペダルをこぎます。
柿の木の下で西瓜の代わりにピオーネを食べました。
「青い山脈」の若々しいサイクリングにはほど遠かつた感がありますが、風景には満足できたました。
帰りにサンロード吉備路で温泉に浸かり、アラ古希青春を終えました。
蛇足ながら、フォト575を真似て一句
アラ古希も 遠目し偲び 青春し
(完)
にほんブログ村
目国内・雷電岳縦走(山と友と凡人S-50)
2011年10月12日
目国内・雷電岳縦走
東北の山登りを高校の友4人で行く計画を立てていた。
しかし、アルプスの乙女を自称する2人が浮気し他のグループと羅臼、斜里岳登山に行ったため流れてしまった。
仕方がない、岩手山・早池峰・八幡平は、会社の後輩と行くことにし、3年前に4人で行った目国内岳、雷電岳縦走を思い出すことにしょう。
目国内岳(1220m)、雷電岳(990m)は、ニセコ連峰の西端にある山で、いずれも北海道百名山に数えられている。
新見温泉へ
高校の同窓会が札幌で行われた。
前年岩木山と八甲田山に登った4人が揃ったので故郷の目国内から雷電岳を縦走することにした。
KIの車で蘭越に向う、
「岩内に旨い回転寿司があるのよ。寄っていこう」
昼飯時でもあり「すし太郎」に入った。
小じんまりとした寿司屋である。
回転ベルトも10mにも未たないもので、その中で板前が握っていた。
「今日は、また来ました」
板前と話しながら好きな物を注文している。
回転ベルトに移動してくるマグロを取って食べようとすると
「それは取らないで、注文しなさい。その方が新鮮なんだから」
と言う。
それでは回転寿司じゃないじゃないかと思いつつ彼女に習ったが、面倒でもあり目の前に来た皿を取って食べたりもした。
新見温泉には5時過ぎに着いた。
昔の新見温泉には、温泉プールと湯の滝があった。
小学校の遠足で何回か来たことがある。
しかし、そのプールも湯の滝も跡形も無くなっていた。
道路沿いに建てられている温泉宿にも面影は無かった。
温泉の女将と娘が、丁寧に迎えてくれた。
KIとは、とても親しいようである。
SNと部屋に落ち着き、早速風呂に向かった。
透き通るようにきれいなラジウム泉で神経痛・リュウマチなどに効用があるという。
自然の中に造られた露天風呂、湯槽近くまで木々がせまりその下にピンク色の花が咲いている。
「温泉は最高だが、今日は山登りもしてないし、車に乗せて貰っただけなので今ひとつ充実感がないな」
「温泉は疲れた後が良いんだよな」
と勝手なことを言いながら、ゆっくり浸かった。
夕食は階下の別室に用意されていた。
回転寿司が話題となる。
「JNさんは、6皿しか食べないし、SNさんが7皿でしょ。いつもなら10皿以上軽く食べるのに、私独り食べる分けにいかず8皿で止めたのよ」
「注文しなさいと言うのに、廻って来たの取って食べるのよ。回転寿司の通じゃ無いよね、EAちゃん」
回転寿司の通というのがあるのか無いのか知らないが、少なくとも岡山ではベルトの上に流れてくる皿を取って食べるのが回転寿司である。
女将の心づくしの料理は美味しかった。
目国内岳へ
5時前に目が覚めた。
昨日はゆっくり寛いだので早く歩きたかった。
早朝の露天風呂に入り、登山の準備をした。
KIが食料を配る。
「はい、サクランボ1袋、トマト4個、ミカン3個それに胡瓜の一夜漬3本づつ。よく冷えた飲料水2本。各自持って下さいね。」
更に、女将が作ってくれた弁当をザックに入れ新見温泉を後にした。
EAの運転する車に乗り登山口に着いたのは6時である。
既に数台の車が駐車していた。
しかし、登山ではなく笹ノ子取りの様だ。
「うわ、雲一つ無い良い天気ね。さすが晴男、晴女ね」
登山道を行くと、笹藪がザワザワする。
熊ではなく人間様だ。
やはり笹ノ子取りが多く入っている。
なだらかな弧をえがいた前目国内が現れる。
ゴゼンタチバナ、マイズルソウ、ツマトリソウ、ハクサンチドリの花も道端に見られるようになる。
7時、前目国内岳980m 登頂。
此処から見る新緑の目国内岳は素晴らしい。
快適な登山コースであり疲れもなく皆元気だ。
7時半、岩の門で暫し休憩する。
以前、目国内岳に登ったのは大学一年の夏休みであるから45年も前になる。
当時は新見温泉から歩いたので登山口までかなりあった。
標識等も整備されてなく、獣道に近い所をKH、SO、KNと4人で登ったのを思い出す。
あの日も晴れていた。
8時、頂上の岩稜が目前に現れる。
岩場を登り、目国内岳1220mの頂上に立つ。
岩内岳、雷電岳へと続く緑の高原が綺麗だ。
南西には、尻別川が蛇行しながら蘭越から港の砂浜に流れ込んでいる。
暫し眺望を楽しみ、ウイスキーを一口飲む。
頂上は狭いので岩稜の下で朝食にする。
「SNさん、サクランボ一度に全部食べて仕舞って・・、後であげないからね」
私も半分以上食べていたが、慌てて止めた。
一夜漬けのキュウリを1本食べる。これも旨かった。
休憩後、パンケメクンナイ湿原を目指し岩内岳分岐へと向かう。
これから行く雷電岳までのコースが一望される。
雷電岳へ
「凄い!羊蹄、ニセコ、イワオ、チセ、シャクナゲが縦に並んで見える」
「こんな角度から羊蹄と ニセコ連峰を見るのは私も初めて」

メクンナイ湿原に近づくに連れて花畑が広がってくる。
カラマツソウ、メアカンキンバエそれにベニバナイチゴの赤い花も我々を楽しませてくれる。
高原のトレッキングを楽しみながら岩内岳分岐へと向かう。
ショウギアヤメ、エゾキンポウゲ、エゾフウロウ、アカモモ、ショウジョバカマと次々に可憐な花々も顔を出す。
雪渓を渡り、分岐に差しかかるとチングルマの群生が至るところに広がっている。
シラネアオイ、コケモモ、エゾアズマギクを見ながら雷電湿原五ツ沼に着く。
自称アルプスの乙女らはザックを下ろし休憩し、なにやかにや食べている。
乙女らをおいてSNと雷電岳に向かう。
頂上には1時半に着いた。
早速バナーに点火し湯を沸かす。
カップラーメンが出来た頃に乙女らも頂上に着いた。
此処から朝日温泉までは笹原と木の根の多い3時間の難所である。
「笹は3年前に刈ってくれたそうよ。前回来たときより歩きやすいわ」
確かに笹は刈られていて登山道も迷うことは無い。
しかし、道が掘れ木の根が浮いているから、またぎながら歩かねばならない。
これが長く続くのでしんどい。
前雷電のピークを過ぎると急坂の下りとなる。
ハイ松のトンネル、更に樹林帯を通り、3つのピークを越える。
「凄いね、あの上から降りてきたのよ」
「SNさん、サクランボあげないからね」
KIは大事に残してきたサクランボを旨そうに食べる。
SNも私も、サクランボは勿論、トマトもミカンも胡瓜も全て食べてしまっていた。
「サクランボ、恵んであげる」
EAが、3、4粒づつ男性陣に配給する
「それにしても、よく食べた登山だったな。山登りで反って太ったかも知れない」
と独り呟く。
高度計を見ると標高680mである。
朝日温泉まではもう少しだろう。
5時10分、温泉の屋根が木々の間から見えた。
3人がなかなか来ないので、引き返し大声で伝える。
「オーイ、温泉が見えたぞ」
朝日温泉
「今日は、お世話になります」
「いらっしゃい。凄いね、予告通り5時半ピッタリに降りてきたね」
背の高い管理人が愛想良く迎えてくれた。
朝日温泉は江戸時代に拓かれ、露天風呂の他、2つの内岩風呂がある。
泉質は硫化水素石こう泉で、皮膚病、慢性リューマチ、神経痛などに効果があるという。
水上努の「飢餓海峡」前編の舞台となった所でもある。
昭和29年洞爺丸を沈めた15号台風、小学生の私は蘭越の町から北の空が真赤に焼けているのを見た。
それが岩内の大火であり、その火元が小説によると朝日温泉での放火とされている。
乙女らが夕食の準備をしている。
料理は水炊きである。
蘭越のスーパーで買い込んだ材料を調理し鍋で煮ている。
何か、手伝うことがないかと言うと、大根を下ろしてくれと言われる。
おろし器を使い大きなドンブリに一杯の大根おろしを作った。
ビールで乾杯し、11時間の山歩きと無事下山を祝した。
「管理人さんも呼んで、一緒に食べてもらったら」
管理人は、独りウイスキーを飲んでいた様でローヤルのボトルと摘みを持参してきた。
宴会は盛会だった。水炊きも旨かった。
後片付けを女性陣に頼み独り露天風呂に行った。
建物の裏にまわり登山道への橋を渡ると、直ぐ右手の崖下に露天風呂があった。
街灯も無いのでヘッドライトの明かりを頼りに、脱衣して入った。
熱くもなく温くもなく丁度良い湯加減である。
見上げると星空であっる。
渓谷を流れる水の音、風になびく草木の音色を聞く。
正に秘湯である。
何故か歌いたくなり、誰にも聞こえるはずがないと思い、昔カラオケで歌った「ガキの頃のように」とか「高校三年生」とかを大声で歌った。
(完)
*朝日温泉は、昨年7月29日の集中豪雨による被害の為、現在休業中です。

にほんブログ村
東北の山登りを高校の友4人で行く計画を立てていた。
しかし、アルプスの乙女を自称する2人が浮気し他のグループと羅臼、斜里岳登山に行ったため流れてしまった。
仕方がない、岩手山・早池峰・八幡平は、会社の後輩と行くことにし、3年前に4人で行った目国内岳、雷電岳縦走を思い出すことにしょう。
目国内岳(1220m)、雷電岳(990m)は、ニセコ連峰の西端にある山で、いずれも北海道百名山に数えられている。
新見温泉へ
高校の同窓会が札幌で行われた。

前年岩木山と八甲田山に登った4人が揃ったので故郷の目国内から雷電岳を縦走することにした。
KIの車で蘭越に向う、
「岩内に旨い回転寿司があるのよ。寄っていこう」
昼飯時でもあり「すし太郎」に入った。
小じんまりとした寿司屋である。
回転ベルトも10mにも未たないもので、その中で板前が握っていた。
「今日は、また来ました」
板前と話しながら好きな物を注文している。
回転ベルトに移動してくるマグロを取って食べようとすると
「それは取らないで、注文しなさい。その方が新鮮なんだから」
と言う。
それでは回転寿司じゃないじゃないかと思いつつ彼女に習ったが、面倒でもあり目の前に来た皿を取って食べたりもした。
新見温泉には5時過ぎに着いた。
昔の新見温泉には、温泉プールと湯の滝があった。
小学校の遠足で何回か来たことがある。
しかし、そのプールも湯の滝も跡形も無くなっていた。
道路沿いに建てられている温泉宿にも面影は無かった。
温泉の女将と娘が、丁寧に迎えてくれた。
KIとは、とても親しいようである。
SNと部屋に落ち着き、早速風呂に向かった。
透き通るようにきれいなラジウム泉で神経痛・リュウマチなどに効用があるという。
自然の中に造られた露天風呂、湯槽近くまで木々がせまりその下にピンク色の花が咲いている。
「温泉は最高だが、今日は山登りもしてないし、車に乗せて貰っただけなので今ひとつ充実感がないな」
「温泉は疲れた後が良いんだよな」
と勝手なことを言いながら、ゆっくり浸かった。
夕食は階下の別室に用意されていた。
回転寿司が話題となる。
「JNさんは、6皿しか食べないし、SNさんが7皿でしょ。いつもなら10皿以上軽く食べるのに、私独り食べる分けにいかず8皿で止めたのよ」
「注文しなさいと言うのに、廻って来たの取って食べるのよ。回転寿司の通じゃ無いよね、EAちゃん」
回転寿司の通というのがあるのか無いのか知らないが、少なくとも岡山ではベルトの上に流れてくる皿を取って食べるのが回転寿司である。
女将の心づくしの料理は美味しかった。
目国内岳へ
5時前に目が覚めた。
昨日はゆっくり寛いだので早く歩きたかった。
早朝の露天風呂に入り、登山の準備をした。
KIが食料を配る。
「はい、サクランボ1袋、トマト4個、ミカン3個それに胡瓜の一夜漬3本づつ。よく冷えた飲料水2本。各自持って下さいね。」
更に、女将が作ってくれた弁当をザックに入れ新見温泉を後にした。
EAの運転する車に乗り登山口に着いたのは6時である。
既に数台の車が駐車していた。

しかし、登山ではなく笹ノ子取りの様だ。
「うわ、雲一つ無い良い天気ね。さすが晴男、晴女ね」
登山道を行くと、笹藪がザワザワする。
熊ではなく人間様だ。
やはり笹ノ子取りが多く入っている。
なだらかな弧をえがいた前目国内が現れる。
ゴゼンタチバナ、マイズルソウ、ツマトリソウ、ハクサンチドリの花も道端に見られるようになる。
7時、前目国内岳980m 登頂。
此処から見る新緑の目国内岳は素晴らしい。
快適な登山コースであり疲れもなく皆元気だ。
7時半、岩の門で暫し休憩する。
以前、目国内岳に登ったのは大学一年の夏休みであるから45年も前になる。
当時は新見温泉から歩いたので登山口までかなりあった。
標識等も整備されてなく、獣道に近い所をKH、SO、KNと4人で登ったのを思い出す。
あの日も晴れていた。
8時、頂上の岩稜が目前に現れる。
岩場を登り、目国内岳1220mの頂上に立つ。
岩内岳、雷電岳へと続く緑の高原が綺麗だ。
南西には、尻別川が蛇行しながら蘭越から港の砂浜に流れ込んでいる。
暫し眺望を楽しみ、ウイスキーを一口飲む。
頂上は狭いので岩稜の下で朝食にする。
「SNさん、サクランボ一度に全部食べて仕舞って・・、後であげないからね」
私も半分以上食べていたが、慌てて止めた。
一夜漬けのキュウリを1本食べる。これも旨かった。
休憩後、パンケメクンナイ湿原を目指し岩内岳分岐へと向かう。
これから行く雷電岳までのコースが一望される。
雷電岳へ
「凄い!羊蹄、ニセコ、イワオ、チセ、シャクナゲが縦に並んで見える」
「こんな角度から羊蹄と ニセコ連峰を見るのは私も初めて」

メクンナイ湿原に近づくに連れて花畑が広がってくる。
カラマツソウ、メアカンキンバエそれにベニバナイチゴの赤い花も我々を楽しませてくれる。
高原のトレッキングを楽しみながら岩内岳分岐へと向かう。
ショウギアヤメ、エゾキンポウゲ、エゾフウロウ、アカモモ、ショウジョバカマと次々に可憐な花々も顔を出す。
雪渓を渡り、分岐に差しかかるとチングルマの群生が至るところに広がっている。
シラネアオイ、コケモモ、エゾアズマギクを見ながら雷電湿原五ツ沼に着く。
自称アルプスの乙女らはザックを下ろし休憩し、なにやかにや食べている。
乙女らをおいてSNと雷電岳に向かう。
頂上には1時半に着いた。
早速バナーに点火し湯を沸かす。
カップラーメンが出来た頃に乙女らも頂上に着いた。
此処から朝日温泉までは笹原と木の根の多い3時間の難所である。
「笹は3年前に刈ってくれたそうよ。前回来たときより歩きやすいわ」
確かに笹は刈られていて登山道も迷うことは無い。
しかし、道が掘れ木の根が浮いているから、またぎながら歩かねばならない。
これが長く続くのでしんどい。
前雷電のピークを過ぎると急坂の下りとなる。
ハイ松のトンネル、更に樹林帯を通り、3つのピークを越える。
「凄いね、あの上から降りてきたのよ」
「SNさん、サクランボあげないからね」
KIは大事に残してきたサクランボを旨そうに食べる。
SNも私も、サクランボは勿論、トマトもミカンも胡瓜も全て食べてしまっていた。
「サクランボ、恵んであげる」
EAが、3、4粒づつ男性陣に配給する
「それにしても、よく食べた登山だったな。山登りで反って太ったかも知れない」
と独り呟く。
高度計を見ると標高680mである。
朝日温泉まではもう少しだろう。
5時10分、温泉の屋根が木々の間から見えた。
3人がなかなか来ないので、引き返し大声で伝える。
「オーイ、温泉が見えたぞ」
朝日温泉
「今日は、お世話になります」
「いらっしゃい。凄いね、予告通り5時半ピッタリに降りてきたね」
背の高い管理人が愛想良く迎えてくれた。
朝日温泉は江戸時代に拓かれ、露天風呂の他、2つの内岩風呂がある。
泉質は硫化水素石こう泉で、皮膚病、慢性リューマチ、神経痛などに効果があるという。
水上努の「飢餓海峡」前編の舞台となった所でもある。
昭和29年洞爺丸を沈めた15号台風、小学生の私は蘭越の町から北の空が真赤に焼けているのを見た。
それが岩内の大火であり、その火元が小説によると朝日温泉での放火とされている。
乙女らが夕食の準備をしている。
料理は水炊きである。
蘭越のスーパーで買い込んだ材料を調理し鍋で煮ている。
何か、手伝うことがないかと言うと、大根を下ろしてくれと言われる。
おろし器を使い大きなドンブリに一杯の大根おろしを作った。
ビールで乾杯し、11時間の山歩きと無事下山を祝した。
「管理人さんも呼んで、一緒に食べてもらったら」
管理人は、独りウイスキーを飲んでいた様でローヤルのボトルと摘みを持参してきた。
宴会は盛会だった。水炊きも旨かった。
後片付けを女性陣に頼み独り露天風呂に行った。
建物の裏にまわり登山道への橋を渡ると、直ぐ右手の崖下に露天風呂があった。
街灯も無いのでヘッドライトの明かりを頼りに、脱衣して入った。
熱くもなく温くもなく丁度良い湯加減である。
見上げると星空であっる。
渓谷を流れる水の音、風になびく草木の音色を聞く。
正に秘湯である。
何故か歌いたくなり、誰にも聞こえるはずがないと思い、昔カラオケで歌った「ガキの頃のように」とか「高校三年生」とかを大声で歌った。
(完)
*朝日温泉は、昨年7月29日の集中豪雨による被害の為、現在休業中です。
にほんブログ村
夢を見る
2011年09月09日
夢を見る
凡人は、新しい楽しみにトライしています
タイムスリップし青春時代に戻るんです
「夢」には、2つの意味があります
「睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる心像(幻覚)」と
「将来実現させたいと思っている願望や理想」です。
「夢を見る」というと、多くは後者を差します
特に若い人はそうでしょう
還暦を過ぎた凡人は、この2つを同時に実施しょうと企んでます
夢を、夢で見るのです
過去に実現させたかった願望(?)を睡眠中に実現することにしました
青春時代の淡い思い出を再生したり、新しい想い出を創くるのです
夢を見ました
小学校の学芸会の練習です
幼馴染のKと劇をみています
舞台で上級生が歌ってます
野原にそっと咲いて
いつも僕を見てる花
ハコベの花
お母さんの花
夢を見ました
尾瀬、燧ヶ岳の麓で独りテントで寝ていた時だったと思います
高校の同窓会にYが着物をきて参加してます
東京の看護学校の話をしてくれました
ドクターに恋をしている様です
今では、これらが現実にあったことなのか、夢なのかハッキリしません
還暦の同窓会で会ったKは
「ハコベの花の歌など知らない」
と言います
40年間音信不通だったYと最近メールが繋がりました
でも
着物を着て同窓会に来たかどうかは尋ねないことにしてます
凡人の想い出に加えました
(完)

にほんブログ村
凡人は、新しい楽しみにトライしています
タイムスリップし青春時代に戻るんです
「夢」には、2つの意味があります
「睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる心像(幻覚)」と
「将来実現させたいと思っている願望や理想」です。
「夢を見る」というと、多くは後者を差します
特に若い人はそうでしょう
還暦を過ぎた凡人は、この2つを同時に実施しょうと企んでます
夢を、夢で見るのです
過去に実現させたかった願望(?)を睡眠中に実現することにしました
青春時代の淡い思い出を再生したり、新しい想い出を創くるのです
夢を見ました

小学校の学芸会の練習です
幼馴染のKと劇をみています
舞台で上級生が歌ってます
野原にそっと咲いて
いつも僕を見てる花
ハコベの花
お母さんの花
夢を見ました
尾瀬、燧ヶ岳の麓で独りテントで寝ていた時だったと思います
高校の同窓会にYが着物をきて参加してます
東京の看護学校の話をしてくれました
ドクターに恋をしている様です
今では、これらが現実にあったことなのか、夢なのかハッキリしません
還暦の同窓会で会ったKは
「ハコベの花の歌など知らない」
と言います
40年間音信不通だったYと最近メールが繋がりました
でも
着物を着て同窓会に来たかどうかは尋ねないことにしてます
凡人の想い出に加えました
(完)
にほんブログ村
タグ :夢
帽子をかぶって散歩
2011年08月17日
震災後、那須岳・吾妻山に登る(山と友と凡人S-61)
2011年07月12日
那須岳登山
百年に一度という大震災
自粛ムードが漂っていた
5月になり、自粛ばかりでは反って復興のマイナスとなることが言われ出す
その通りだと肯き、
震災前に計画していた山登りを実行することにする
6月25、26日と那須岳と吾妻山に登ろう
那須温泉に泊まると間接的支援となるだろう
「福島の近くの山に登り、放射能を浴びてくるよ」
と冗談を言うと
「お父さんの年代は、もう関係ないでしょう」
と娘に言われる。その通りだ。
倉敷発の夜行バス、吉備ドリーム号は、満員であった。
何と言っても、往複1万円以下の激安料金と早朝に東京に着けるのが魅力である。
山登りの時は少々眠れなくとも苦にならない。

東京は、晴れていた。
梅雨の晴れ間となることを期待いていたが
東北新幹線で那須塩原に着いた時は、暗い雲が上空を覆い始める。
湯元温泉に向う車中では、大粒の雨が激しくバスを叩いた。
ロープウェーの山頂駅で、カッパを着て雨対策をして歩き出す。
茶臼岳頂上までは3、40分で登れるはずだ。
火山岩の石道を登って行くとやがて鳥居が見えてきた。
鳥居をくぐると、そこは立派な祠のある頂上であった。
カラフルな雨具を着た男女十数人が屯している。
「こんにちは、生憎の雨ですね」
眺望は叶わないので、岩陰でウイスキーを一口飲み、峰の小屋に向う。
途中、夫婦連れを追い越したところで土砂降りとなる。
その後、雨は上がり、避難小屋がみえてくる。
雲が流れ、剣が峰、朝日岳が現れる。
峰の茶屋避難小屋は、比較的明るく清潔感がある。
カッパを脱ぎ一息つく。
やがて、夫婦連れも避難してきた。
山ガール2人を含む5人組も入ってくる。
明るい山の会話が飛び交う。
おにぎりを食べ、笹蒲鉾を食べながらまたウイスキーを一飲みする。
雨に濡れたので三本槍岳までの闘志は無くしていた。
朝日岳をピストンし、山麓駅へ下山することにする。
イワカガミの小さいピンクの花が山肌に見られる。
雨も上がり気持ちの良いハイキングとなる。
石沿いの木の葉の下に白いスズランの様な花が沢山ある。
更に行くと、紅色の鈴成りの花、これはサラサドウダンだ。
九住の大船山に群生していたのを想い出す。
開けた場所にくる。峠の茶屋跡と記されている看板がありウラジロタデの群生地とある。
そばを探すと、確かにあった。
その夜は、湯元温泉「旅館山快」の濁りの湯に浸かった。
部屋出しの豪華な夕食も旨かった。
ただ、晴れ男になれなかったのが今一つ残念である。
吾妻山登山
福島で山形新幹線に乗り継ぐ
米沢に着いた時は小雨が降っていた
駅にはサクランボが直売されている
路線バスで天元台へ
ロープウェーを降りて更に3つのリフトを乗継ぐ
北展望台へ
日曜というのに、この雨では客は少ない
周りの景色が見えないせいかリフトがやけに遅く感ずる
「こんな日に何で山登りするのか」
と自問するが、わざわざ岡山から出てきたのだ
百名山の一座登頂を
多少の雨で諦めるわけにはいかない
かもしか展望台まで行くと、下山のグループに会う
「こんにちは」
「あいにくの雨ですね」

木道をしばらく行くと、湿地帯となる
水芭蕉、チングルマ、そして白と紅色のコイワカガミ
雨が上がり、霧が流れ視界が開ける
ここが大凹だ
北斜面にはまだ雪渓が残っている
最終ゴンドラまで時間的余裕がないので登頂を急ぐ
梵天岩から急坂を登り天狗岩へ
この頃から雨が又降り出した
黙々樹林帯を登ること暫し
西吾妻山2035mの頂上に立つ
雨の中、視界も感動も何もない
ベーコンを齧り、バランタインを一飲みする
リフトの係員が私を待っていた
私が最終下山者であり、リフトの最終客の様だ
傘をさしリフトに乗のは初めてだ
高原駅でストーブに当たりながら着替えをした
那須山、吾妻山と2日続きで雨であった
「こんなことも、たまにはあるよ、次はまた晴れ男に戻るさ」
暖かくなつたところでビールを飲む
倉敷まではまだ遠い・・・・
(完)

にほんブログ村
百年に一度という大震災
自粛ムードが漂っていた
5月になり、自粛ばかりでは反って復興のマイナスとなることが言われ出す
その通りだと肯き、
震災前に計画していた山登りを実行することにする
6月25、26日と那須岳と吾妻山に登ろう
那須温泉に泊まると間接的支援となるだろう
「福島の近くの山に登り、放射能を浴びてくるよ」
と冗談を言うと
「お父さんの年代は、もう関係ないでしょう」
と娘に言われる。その通りだ。
倉敷発の夜行バス、吉備ドリーム号は、満員であった。
何と言っても、往複1万円以下の激安料金と早朝に東京に着けるのが魅力である。
山登りの時は少々眠れなくとも苦にならない。

東京は、晴れていた。
梅雨の晴れ間となることを期待いていたが
東北新幹線で那須塩原に着いた時は、暗い雲が上空を覆い始める。
湯元温泉に向う車中では、大粒の雨が激しくバスを叩いた。
ロープウェーの山頂駅で、カッパを着て雨対策をして歩き出す。
茶臼岳頂上までは3、40分で登れるはずだ。
火山岩の石道を登って行くとやがて鳥居が見えてきた。
鳥居をくぐると、そこは立派な祠のある頂上であった。
カラフルな雨具を着た男女十数人が屯している。
「こんにちは、生憎の雨ですね」
眺望は叶わないので、岩陰でウイスキーを一口飲み、峰の小屋に向う。
途中、夫婦連れを追い越したところで土砂降りとなる。
その後、雨は上がり、避難小屋がみえてくる。
雲が流れ、剣が峰、朝日岳が現れる。
峰の茶屋避難小屋は、比較的明るく清潔感がある。
カッパを脱ぎ一息つく。
やがて、夫婦連れも避難してきた。
山ガール2人を含む5人組も入ってくる。
明るい山の会話が飛び交う。
おにぎりを食べ、笹蒲鉾を食べながらまたウイスキーを一飲みする。
雨に濡れたので三本槍岳までの闘志は無くしていた。
朝日岳をピストンし、山麓駅へ下山することにする。
イワカガミの小さいピンクの花が山肌に見られる。
雨も上がり気持ちの良いハイキングとなる。
石沿いの木の葉の下に白いスズランの様な花が沢山ある。
更に行くと、紅色の鈴成りの花、これはサラサドウダンだ。
九住の大船山に群生していたのを想い出す。
開けた場所にくる。峠の茶屋跡と記されている看板がありウラジロタデの群生地とある。
そばを探すと、確かにあった。
その夜は、湯元温泉「旅館山快」の濁りの湯に浸かった。
部屋出しの豪華な夕食も旨かった。
ただ、晴れ男になれなかったのが今一つ残念である。
吾妻山登山
福島で山形新幹線に乗り継ぐ
米沢に着いた時は小雨が降っていた
駅にはサクランボが直売されている
路線バスで天元台へ
ロープウェーを降りて更に3つのリフトを乗継ぐ
北展望台へ
日曜というのに、この雨では客は少ない
周りの景色が見えないせいかリフトがやけに遅く感ずる
「こんな日に何で山登りするのか」
と自問するが、わざわざ岡山から出てきたのだ
百名山の一座登頂を
多少の雨で諦めるわけにはいかない
かもしか展望台まで行くと、下山のグループに会う
「こんにちは」
「あいにくの雨ですね」

木道をしばらく行くと、湿地帯となる
水芭蕉、チングルマ、そして白と紅色のコイワカガミ
雨が上がり、霧が流れ視界が開ける
ここが大凹だ
北斜面にはまだ雪渓が残っている
最終ゴンドラまで時間的余裕がないので登頂を急ぐ
梵天岩から急坂を登り天狗岩へ
この頃から雨が又降り出した
黙々樹林帯を登ること暫し
西吾妻山2035mの頂上に立つ
雨の中、視界も感動も何もない
ベーコンを齧り、バランタインを一飲みする
リフトの係員が私を待っていた
私が最終下山者であり、リフトの最終客の様だ
傘をさしリフトに乗のは初めてだ
高原駅でストーブに当たりながら着替えをした
那須山、吾妻山と2日続きで雨であった
「こんなことも、たまにはあるよ、次はまた晴れ男に戻るさ」
暖かくなつたところでビールを飲む
倉敷まではまだ遠い・・・・
(完)
にほんブログ村
鳳凰三山、春山登山(山と友と凡人S-54)
2011年06月24日
計画
3月に入り、春山登山の計画がきた。
北ノ俣岳でテント泊し、薬師岳と黒部五郎岳へ登ろうという。
北アルプスは雪が残っているだろうし、多少不安もあったが、ここで薬師岳、黒部五郎岳を登頂出来ることは、百名山を目指す私には魅力であつた。
毎日のランニングにも力が入いる。
4月23日、例年どうりイオンの2階フードコーナーで春山登山の打ち合わせが行われた。
「1週間ほど前に北アルプスで遭難しているけど、薬師岳の辺は大丈夫かな」
「雪も多そうだし、両方登るのはシンドくないか」
「そうだな、南アルプスの鳳凰山なら危険は殆どないが」
ということで、安全第一で鳳凰山に計画変更することになった。
出発

4人用テントの保管は私がしていた。
これを分割して3人に分担させるのが一苦労だ。
5月2日、天気予報はあまり芳しくないが、雨は無さそうだ。
S車に乗り、いつもの4人で出発をした。
養老の滝SAには午後5時に着いた。
7時には諏訪湖SAに着き、ここで風呂にはいり仮眠することにした。
車の中で目を瞑るが眠れない。
色々考えていると腕時計の無いことに気がついた。
登山用に買った高度計付きのカシオプロだ。
慌てて、風呂場へ行く。
午後9時を過ぎていたので閉まっていたが、幸い掃除をしているおばちゃんがいた。
「忘れ物は、SAの売店で聞いてください」
お土産売り場に行き、店員に尋ねる。
「お風呂の脱衣場に腕時計を忘れたのですが」
「少し、待ってください」
男は店の奥に入っていった。そして、何やらもって出てきた。
「ありがとうございます。助かりました」
車は韮崎に向い、やがて細い道に入る。途中未舗装もある。
御座石鉱泉に着いたのは翌朝4時半だった。
先客の車が2台あった。
まだ薄暗く、車中で仮眠し夜の明けるのを待つ。
鳳凰小屋目指して
5時温泉宿の裏山の急坂をジグザグに登っていく。
松林の小道に山つつじが見られる。
Sはマイペースで先に行っている。
7時、3人は一休みする。
やがて旭岳頂上の石柱に到達。
間もなく、雲上に八ヶ岳が現れる。
8時、燕頭山には元気な女性三人グループがいた。
早速Sが話かけ仲よくしている。
ここから雪道となり、アイゼンを装着する。
10時半、雪の中の鳳凰小屋に着く。
やれやれである。
テントを張り、腹ごしらえをする。
小屋には若い女性も多く賑わっていた。
オベリスク
暫く休んだ後、地蔵岳目指
して、雪山を登り始めた。
木立のなか、厳しい急登が暫く続いた。
視界が開けると、オベリスクの岩峰が頭上に現れる。
その上は明るい空だ。
元気をだして更に登る。
お地蔵さんが沢山現れる。
12時30分、地蔵岳頂上。
甲斐駒と仙丈が白雪をいだき手前に聳える。
何と言ってもオベリスクは圧巻だ。
SとIはオベリスクの岩に登っていく。
Kと私は、疲れもあるので、地蔵と雄大な景色をみなが雪原に大の字となり、彼らの戻るのを待った。
5月とはいえ、3000メートルの頂上は寒かった
暫し、この雄大な景色に寒さを忘れている。
ある者は、地蔵と会話し、
またある者は甲斐駒、仙丈に語りかける
そして、目前に聳えるオベリスクに手を合わせる
歴史にある西洋のオベリスクは人造物である
しかし、目前にある巨大な石造物は
自然が創った造形だろうか
古代人、いや宇宙人が創ったのではないか
たわい無い想いを巡らし
この幸せを満喫する
頂上まで来た者へのご褒美だ
鳳凰小屋のテントに戻ったのは、午後3時前だった。
早めに夕食の準備をする。
今回も、カレーライスが主食である。
明日の朝は早い。
早々にシュラフに潜り込む。
観音岳、薬師岳へ
4日、朝4時起床。
テント内で朝食を済ませ、早々にスタートする。
今日も天気は良さそうだ。
6時、冠雪を抱いた北岳が目の前に聳える。
3っの尾根を表面に仙丈が優雅な姿を現す。
7時、観音岳頂上。
岩を回ると、巨大な富士が雲上に聳える。
八ヶ岳連峰も美しい輪郭を誇る。
7時20分、薬師岳登頂。
雪は殆どなく、オベリスク同様の巨岩が並ぶ。
北岳がすぐ前に聳える。
Kが薬師岳小屋に用足しに行く。
下山
9時、鳳凰小屋にもどりテントをたたむ。
私は、下りは得意のはずであったが、アイゼン装着の歩行で最後はグロッキーぎみであつた。
午後1時半、御座温泉に戻る。
帰りに日帰り温泉「むかわの湯」に浸かった。
(完)

にほんブログ村
3月に入り、春山登山の計画がきた。
北ノ俣岳でテント泊し、薬師岳と黒部五郎岳へ登ろうという。
北アルプスは雪が残っているだろうし、多少不安もあったが、ここで薬師岳、黒部五郎岳を登頂出来ることは、百名山を目指す私には魅力であつた。
毎日のランニングにも力が入いる。
4月23日、例年どうりイオンの2階フードコーナーで春山登山の打ち合わせが行われた。
「1週間ほど前に北アルプスで遭難しているけど、薬師岳の辺は大丈夫かな」
「雪も多そうだし、両方登るのはシンドくないか」
「そうだな、南アルプスの鳳凰山なら危険は殆どないが」
ということで、安全第一で鳳凰山に計画変更することになった。
出発

4人用テントの保管は私がしていた。
これを分割して3人に分担させるのが一苦労だ。
5月2日、天気予報はあまり芳しくないが、雨は無さそうだ。
S車に乗り、いつもの4人で出発をした。
養老の滝SAには午後5時に着いた。
7時には諏訪湖SAに着き、ここで風呂にはいり仮眠することにした。
車の中で目を瞑るが眠れない。
色々考えていると腕時計の無いことに気がついた。
登山用に買った高度計付きのカシオプロだ。
慌てて、風呂場へ行く。
午後9時を過ぎていたので閉まっていたが、幸い掃除をしているおばちゃんがいた。
「忘れ物は、SAの売店で聞いてください」
お土産売り場に行き、店員に尋ねる。
「お風呂の脱衣場に腕時計を忘れたのですが」
「少し、待ってください」
男は店の奥に入っていった。そして、何やらもって出てきた。
「ありがとうございます。助かりました」
車は韮崎に向い、やがて細い道に入る。途中未舗装もある。
御座石鉱泉に着いたのは翌朝4時半だった。
先客の車が2台あった。
まだ薄暗く、車中で仮眠し夜の明けるのを待つ。
鳳凰小屋目指して
5時温泉宿の裏山の急坂をジグザグに登っていく。
松林の小道に山つつじが見られる。
Sはマイペースで先に行っている。
7時、3人は一休みする。
やがて旭岳頂上の石柱に到達。
間もなく、雲上に八ヶ岳が現れる。
8時、燕頭山には元気な女性三人グループがいた。
早速Sが話かけ仲よくしている。
ここから雪道となり、アイゼンを装着する。
10時半、雪の中の鳳凰小屋に着く。
やれやれである。
テントを張り、腹ごしらえをする。
小屋には若い女性も多く賑わっていた。
オベリスク
暫く休んだ後、地蔵岳目指

して、雪山を登り始めた。
木立のなか、厳しい急登が暫く続いた。
視界が開けると、オベリスクの岩峰が頭上に現れる。
その上は明るい空だ。
元気をだして更に登る。
お地蔵さんが沢山現れる。
12時30分、地蔵岳頂上。
甲斐駒と仙丈が白雪をいだき手前に聳える。
何と言ってもオベリスクは圧巻だ。
SとIはオベリスクの岩に登っていく。
Kと私は、疲れもあるので、地蔵と雄大な景色をみなが雪原に大の字となり、彼らの戻るのを待った。
5月とはいえ、3000メートルの頂上は寒かった
暫し、この雄大な景色に寒さを忘れている。
ある者は、地蔵と会話し、
またある者は甲斐駒、仙丈に語りかける
そして、目前に聳えるオベリスクに手を合わせる
歴史にある西洋のオベリスクは人造物である
しかし、目前にある巨大な石造物は
自然が創った造形だろうか
古代人、いや宇宙人が創ったのではないか
たわい無い想いを巡らし
この幸せを満喫する
頂上まで来た者へのご褒美だ
鳳凰小屋のテントに戻ったのは、午後3時前だった。
早めに夕食の準備をする。
今回も、カレーライスが主食である。
明日の朝は早い。
早々にシュラフに潜り込む。
観音岳、薬師岳へ
4日、朝4時起床。
テント内で朝食を済ませ、早々にスタートする。
今日も天気は良さそうだ。
6時、冠雪を抱いた北岳が目の前に聳える。
3っの尾根を表面に仙丈が優雅な姿を現す。
7時、観音岳頂上。
岩を回ると、巨大な富士が雲上に聳える。
八ヶ岳連峰も美しい輪郭を誇る。
7時20分、薬師岳登頂。
雪は殆どなく、オベリスク同様の巨岩が並ぶ。
北岳がすぐ前に聳える。
Kが薬師岳小屋に用足しに行く。
下山
9時、鳳凰小屋にもどりテントをたたむ。
私は、下りは得意のはずであったが、アイゼン装着の歩行で最後はグロッキーぎみであつた。
午後1時半、御座温泉に戻る。
帰りに日帰り温泉「むかわの湯」に浸かった。
(完)
にほんブログ村
S君百名山完踏・白馬岳登山(山と友と凡人S-59)
2011年05月27日
S君百名山踏破登山への参加
数年前からSの登山ペースがあがり、百名山登頂数も私を追い越していた。
「百名山登頂の最後は、白馬に決めているので宜しく」
と完踏登山への同行を頼まれていた。
ところが、私は塩見岳で骨折してしまい、回復出来るのか心配であった。
日時は、平成22年9月3日から6日と決まった。
7月にプレートとネジの除去手術を終え、抜糸の時に主治医のS副院長に相談する。
「抜いたボルトの穴があり、まだ折れやすいので40日は無理な運動はしないように」
「山登りは無理ですか」
「ハイキング程度はよいが、本格的なのは控えた方が良い」
「うーむ」
そう言われると心配になる。X線写真ではボルトの穴が大きく見える。
Sに電話し、白馬岳は厳しいコースは無いと勝手に了解し参加を決めた。
白馬に向けて出発
登山計画は、岡山の山楽
同好会主催で企画され、参加者は総勢22名となった。
9月3日の夕方、Oと二人で集合場所の岡山工場に行く。
中型レンタカーと7人乗りワゴン車で運転を交代しながら行くという。
AやKu嬢もレンタカーに同乗する。
京都でI を拾い、深夜の高速を走る。
猿倉荘登山口に着いたのは5時半であつた。TSら東京組の到着を暫し待つ。
7時、全員集合し、円陣を組みミーテング。
山ガール7名を加え、3班に分かれスタートする。
我々はシンガリの三班で、F、S嬢を含む8人である。
白馬尻小屋には8時50分に着いた。
女性のペースに合わせ休憩も十分とり、花の写真を撮ったりしながら登った。
大雪渓までは順調であったが、F嬢の立ち止まる回数が多くなった。
唇も青く、かなりシンドそうなので酸素ボンベで呼吸を整える。
ザックは男隊に持たせる。
私はとりあえず頂上宿舎まで行って、先に行った仲間と連絡をとることにした。
宿舎前のベンチに腰を降ろし待つが、彼女らが上がってくる気配はない。
Fuに連絡し、私は白馬山荘に向う。
既に午後3時である。本来なら山小屋で寛いでいる頃だ。
骨折の足を庇いながらの登山であり私も疲れていた。
山小屋に着いた時はホッとした。500円のコーラが旨かった。
暫くして、I とOとが登頂してきたが、女性2人の姿は見えない。
どうやら、頂上宿舎までは着いたらしいが、頂上宿舎に泊まれるよう交渉しているようだ。
白馬山荘の人も親切に我々の希望を聞いてくれ頂上宿舎と連絡を取ってくれた。
夕食と百名山踏破祝賀会
S等元気な者は、夕食前に白馬岳登頂してきた。
宿泊客は多く、交代での夕食となった。
食堂に座り、幹事のFuが挨拶を始め、S氏百名山登頂祝賀と書いた幕を張った。
それを見た、隣の団体も同じ百名山踏破の様で、我々に対抗するように、垂れ幕を張り、大きな声で祝いの言葉を言い出した。
何か、隣同士で競争している感があった。
白馬登頂
5日早朝、天気は良い。
ご来光を拝みに頂上に出かける。
薄ら、白味を増した山間の稜線から赤橙の光が放される。
あちこちから歓声があがる。
若者は、股間からご来光が出ているようなロケーションに歓声を上げ
「これは、ナイスポーズ」
とVサインで写真に納まる。
西に目を移すと、幻想的山影が現れている。
「あれ、影白馬でない」
ベテランらしい女性グループが話している。
白馬大池を経て栂池への縦走
白馬大池を目指し出発した。
5年ぶりだろうか、元上司のOSと一緒に登山できるのは嬉しかった。
彼は、良く山に出かけ写真を撮っているらしく、健脚でありペースも早かった。
快晴のもと、雄大な景色を見ながらまさに天空のトレッキングとなった。
十時、白馬大池が見えてくる。
緩やかな雷鳥坂を下り大池山荘には11時前に着いた。
おにぎりと携帯食を食べ一休みするが中々後続が来ない。
本格的登山は初めてというONがかなり疲労しているようだ。
「乗鞍岳を登ると後は下りだから」
と励まし、彼のザックをFuが背負い、山荘裏の湖畔沿いの道を進む。
エメラルドグリーンの綺麗な水面である。
OSを先頭に私が続いて進む。
玄武岩と思われる黒っぽい岩のゴロゴロした乗鞍岳頂上で暫く待つ。
後続を待つ間、OSに写真を撮って貰う。
やがて、TSが来る。
「JNさん、ペースが狂いおかしいよ」
彼にとっては普段のペースより相当遅い。
「TS君、ONさんのザックも担いで、先に下山した方がいいよ」
この提案を受けて、2つのザックを担ぎTSは栂池に下った。
栂池への下山コースは、予想に反し岩場の連続で難コースであった。
骨折後の左足を庇ったこともあり、私もかなり疲れた。
それ以上にONは大変だったようだ。
栂池のロープウェイ乗り場でいくら待っても戻ってくる気配がない。
OSと、東京からきた女性とソフトクリームを食べながら待つ。
15時少し前、ようやく2班全員が到着した。
「少し急げば、15時のロープウェーに乗れますから」
ONはシンドそうであったが、皆で励まし何とか間に合った。
迎えの車に乗り、白馬村のペンション風ホテル「シルクウッド」に向う。
車中で、F嬢を含む最終組も無事下山しロープウェーに間に合ったことを聞き、安心する。
その日帰る予定の7人を除く15人は、白馬村ホテル&貸別荘のシルクウッドに一泊し、改めてSの百名山完踏を祝った。
(完)

にほんブログ村
数年前からSの登山ペースがあがり、百名山登頂数も私を追い越していた。
「百名山登頂の最後は、白馬に決めているので宜しく」
と完踏登山への同行を頼まれていた。
ところが、私は塩見岳で骨折してしまい、回復出来るのか心配であった。
日時は、平成22年9月3日から6日と決まった。
7月にプレートとネジの除去手術を終え、抜糸の時に主治医のS副院長に相談する。
「抜いたボルトの穴があり、まだ折れやすいので40日は無理な運動はしないように」
「山登りは無理ですか」
「ハイキング程度はよいが、本格的なのは控えた方が良い」
「うーむ」
そう言われると心配になる。X線写真ではボルトの穴が大きく見える。
Sに電話し、白馬岳は厳しいコースは無いと勝手に了解し参加を決めた。
白馬に向けて出発
登山計画は、岡山の山楽

同好会主催で企画され、参加者は総勢22名となった。
9月3日の夕方、Oと二人で集合場所の岡山工場に行く。
中型レンタカーと7人乗りワゴン車で運転を交代しながら行くという。
AやKu嬢もレンタカーに同乗する。
京都でI を拾い、深夜の高速を走る。
猿倉荘登山口に着いたのは5時半であつた。TSら東京組の到着を暫し待つ。
7時、全員集合し、円陣を組みミーテング。
山ガール7名を加え、3班に分かれスタートする。
我々はシンガリの三班で、F、S嬢を含む8人である。
白馬尻小屋には8時50分に着いた。
女性のペースに合わせ休憩も十分とり、花の写真を撮ったりしながら登った。
大雪渓までは順調であったが、F嬢の立ち止まる回数が多くなった。
唇も青く、かなりシンドそうなので酸素ボンベで呼吸を整える。
ザックは男隊に持たせる。
私はとりあえず頂上宿舎まで行って、先に行った仲間と連絡をとることにした。
宿舎前のベンチに腰を降ろし待つが、彼女らが上がってくる気配はない。
Fuに連絡し、私は白馬山荘に向う。
既に午後3時である。本来なら山小屋で寛いでいる頃だ。
骨折の足を庇いながらの登山であり私も疲れていた。
山小屋に着いた時はホッとした。500円のコーラが旨かった。
暫くして、I とOとが登頂してきたが、女性2人の姿は見えない。
どうやら、頂上宿舎までは着いたらしいが、頂上宿舎に泊まれるよう交渉しているようだ。
白馬山荘の人も親切に我々の希望を聞いてくれ頂上宿舎と連絡を取ってくれた。
夕食と百名山踏破祝賀会
S等元気な者は、夕食前に白馬岳登頂してきた。
宿泊客は多く、交代での夕食となった。
食堂に座り、幹事のFuが挨拶を始め、S氏百名山登頂祝賀と書いた幕を張った。
それを見た、隣の団体も同じ百名山踏破の様で、我々に対抗するように、垂れ幕を張り、大きな声で祝いの言葉を言い出した。
何か、隣同士で競争している感があった。
白馬登頂
5日早朝、天気は良い。
ご来光を拝みに頂上に出かける。
薄ら、白味を増した山間の稜線から赤橙の光が放される。
あちこちから歓声があがる。
若者は、股間からご来光が出ているようなロケーションに歓声を上げ
「これは、ナイスポーズ」
とVサインで写真に納まる。
西に目を移すと、幻想的山影が現れている。
「あれ、影白馬でない」
ベテランらしい女性グループが話している。
白馬大池を経て栂池への縦走
白馬大池を目指し出発した。
5年ぶりだろうか、元上司のOSと一緒に登山できるのは嬉しかった。
彼は、良く山に出かけ写真を撮っているらしく、健脚でありペースも早かった。
快晴のもと、雄大な景色を見ながらまさに天空のトレッキングとなった。
十時、白馬大池が見えてくる。
緩やかな雷鳥坂を下り大池山荘には11時前に着いた。
おにぎりと携帯食を食べ一休みするが中々後続が来ない。
本格的登山は初めてというONがかなり疲労しているようだ。
「乗鞍岳を登ると後は下りだから」
と励まし、彼のザックをFuが背負い、山荘裏の湖畔沿いの道を進む。
エメラルドグリーンの綺麗な水面である。
OSを先頭に私が続いて進む。
玄武岩と思われる黒っぽい岩のゴロゴロした乗鞍岳頂上で暫く待つ。
後続を待つ間、OSに写真を撮って貰う。
やがて、TSが来る。
「JNさん、ペースが狂いおかしいよ」
彼にとっては普段のペースより相当遅い。
「TS君、ONさんのザックも担いで、先に下山した方がいいよ」
この提案を受けて、2つのザックを担ぎTSは栂池に下った。
栂池への下山コースは、予想に反し岩場の連続で難コースであった。
骨折後の左足を庇ったこともあり、私もかなり疲れた。
それ以上にONは大変だったようだ。
栂池のロープウェイ乗り場でいくら待っても戻ってくる気配がない。
OSと、東京からきた女性とソフトクリームを食べながら待つ。
15時少し前、ようやく2班全員が到着した。
「少し急げば、15時のロープウェーに乗れますから」
ONはシンドそうであったが、皆で励まし何とか間に合った。
迎えの車に乗り、白馬村のペンション風ホテル「シルクウッド」に向う。
車中で、F嬢を含む最終組も無事下山しロープウェーに間に合ったことを聞き、安心する。
その日帰る予定の7人を除く15人は、白馬村ホテル&貸別荘のシルクウッドに一泊し、改めてSの百名山完踏を祝った。
(完)
にほんブログ村
毛無山のカタクリ(山と友と凡人S-60)
2011年05月07日
毛無山のカタクリ
昨年暮れのザイル祭で「来年は毛無山にカタクリを見に行こう」ということになった。
毛無山は標高1218mで岡山と鳥取との県境にある。
K事業所の山岳同好会は現役が2人となり、会としての活動も途絶えがちであつた。
一昨年まで続いていた日本アルプスへの春山登山も昨年は企画されなかったので、今年は近場で、皆で参加することを意図した。
I会長からのメールで、4月30日午前8時にIS前会長宅前に集まったのは6人だった。
Y名誉顧問夫妻は自車で行くとのことだったので参加者は8人となった。
前会長が都合付けてくれた中型バスは29人乗りだという。それに6人が乗りこみ、8時スタートした。
高速を蒜山インターでおり、登山口に着いたのは10時であった。
駐車場はほぼ満車であつたが、大型車の駐車スペースに案内され近くに駐車できた。
サブリーダーのS君が登山計画書を提出しスタートする。
杉林の気持ちの良い登山道を、他の登山グループと会話しながら進む。
今年は雪が多く、1合目付近でも残雪がある。
11時15分、9合目避難小屋に着いた。
汗もでてきたので、ジャンバーを脱ぐ。
前会長の息子がドイツから帰ったとのことで、お土産のソフトチョコレートを相伴する。
美味しかった。
11時25分登頂、視界は開けているが風が強くとても休憩できる状態ではない。
Y夫妻も見当たらないのでカタクリ群生地まで行ってみることにした。
今年は、雪が多く寒かったせいか、道端のカタクリは、つぼみも少なく僅かに2,3輪の花が見られるだけだった。
子供の頃、カタクリ採りに行ったことを思い出す。
北海道では、雪が解けると深緑の葉が平地でも出てくる。
それを採り、御浸しにして食べるのである。
花が咲くと、葉は硬くなり食べることが出来ない。
だから、カタクリの花を愛でるような気分は無かったのである。
12時03分、鉢巻姿の名誉顧問が登頂してきた。
頂上はまだ風が強く、弁当どころではなかった。小屋に引き返すことも考えたが、直ぐ下の笹道で風を防ぎ食べることにした。
白馬山までの尾根道からは、大山、蒜山が望まれる。
下山道ではコブシの白い花が多くみられた。
途中、名誉顧問の足がつるというアクシデントもあつたが、たいしたことは無く、午後3時に無事下山できた。
新庄村の凱旋桜が満開のようなので、帰りに寄った。
私は、初めてであったが、街道沿いの薄桃色の桜のトンネルは素晴らしかった。
日露戦争後に植えられたソメイヨシノは、もう百歳過ぎている。
それでも毎年立派な花を咲かせている。
また、川沿いの土手に咲くピンクの桜並木も対照的で美しかった。
(完)

にほんブログ村
昨年暮れのザイル祭で「来年は毛無山にカタクリを見に行こう」ということになった。
毛無山は標高1218mで岡山と鳥取との県境にある。
K事業所の山岳同好会は現役が2人となり、会としての活動も途絶えがちであつた。
一昨年まで続いていた日本アルプスへの春山登山も昨年は企画されなかったので、今年は近場で、皆で参加することを意図した。
I会長からのメールで、4月30日午前8時にIS前会長宅前に集まったのは6人だった。Y名誉顧問夫妻は自車で行くとのことだったので参加者は8人となった。
前会長が都合付けてくれた中型バスは29人乗りだという。それに6人が乗りこみ、8時スタートした。
高速を蒜山インターでおり、登山口に着いたのは10時であった。
駐車場はほぼ満車であつたが、大型車の駐車スペースに案内され近くに駐車できた。
サブリーダーのS君が登山計画書を提出しスタートする。
杉林の気持ちの良い登山道を、他の登山グループと会話しながら進む。
今年は雪が多く、1合目付近でも残雪がある。
11時15分、9合目避難小屋に着いた。
汗もでてきたので、ジャンバーを脱ぐ。
前会長の息子がドイツから帰ったとのことで、お土産のソフトチョコレートを相伴する。
美味しかった。
11時25分登頂、視界は開けているが風が強くとても休憩できる状態ではない。
Y夫妻も見当たらないのでカタクリ群生地まで行ってみることにした。
今年は、雪が多く寒かったせいか、道端のカタクリは、つぼみも少なく僅かに2,3輪の花が見られるだけだった。
子供の頃、カタクリ採りに行ったことを思い出す。
北海道では、雪が解けると深緑の葉が平地でも出てくる。
それを採り、御浸しにして食べるのである。
花が咲くと、葉は硬くなり食べることが出来ない。
だから、カタクリの花を愛でるような気分は無かったのである。
12時03分、鉢巻姿の名誉顧問が登頂してきた。
頂上はまだ風が強く、弁当どころではなかった。小屋に引き返すことも考えたが、直ぐ下の笹道で風を防ぎ食べることにした。
白馬山までの尾根道からは、大山、蒜山が望まれる。
下山道ではコブシの白い花が多くみられた。
途中、名誉顧問の足がつるというアクシデントもあつたが、たいしたことは無く、午後3時に無事下山できた。
私は、初めてであったが、街道沿いの薄桃色の桜のトンネルは素晴らしかった。
日露戦争後に植えられたソメイヨシノは、もう百歳過ぎている。
それでも毎年立派な花を咲かせている。
また、川沿いの土手に咲くピンクの桜並木も対照的で美しかった。
(完)
にほんブログ村
東京からチエリとトモが疎開してきたワン
2011年03月31日
東京からチエリとトモが疎開してきたワン
えらいこっちゃワン
チエリとトモが疎開してきたワン
日本の遠くで大きな地震があったとテレビでいつてたけど
原子力発電所が壊れたとか
私の住む倉敷は何の変わりもなかったのに
東京では水が飲めないといって
チエリとトモが疎開してきたワン
えらいこっちゃワン

チエリは正月きたときよりお利口さんになつたよう
本を読んだり絵を描いたりしているヨ
でも、階段からコロコロ転げ落ちて泣いたヨ
キティちゃんの絆創膏でご機嫌になったけど
爺、じじといってお父さんを横取りするのも困るヨ
傍に行って親愛のペロペロすると
「いや! カンコあっちに行って」
て、押しのけるワン
マミちゃんもトモに掛かり切りで
薬の時とシャンプーの時ぐらいしか
遊んでくれないヨ
そうそう、私はアレルギーで興奮すると良くないて
先生から言われてるけど、
チエリとトモが気になり興奮しぱなしだワン
お父さんが、自転車の後ろにチエリを乗せる椅子を付けたので
前籠は、私の専用のまま
3人での自転車散歩は楽しいヨ
クルクル回ってウンコとシッコもしているヨ
近くの公園でチエリと一緒に写真を撮ってもらったヨ
でも、お父さんとお母さんとマミちゃんと4人の方がいいヨ
早く原子力発電所が直ってくれないかナ・・ワン
カノン
(完)

にほんブログ村

にほんブログ村
えらいこっちゃワン
チエリとトモが疎開してきたワン
日本の遠くで大きな地震があったとテレビでいつてたけど
原子力発電所が壊れたとか
私の住む倉敷は何の変わりもなかったのに
東京では水が飲めないといって
チエリとトモが疎開してきたワン
えらいこっちゃワン
チエリは正月きたときよりお利口さんになつたよう
本を読んだり絵を描いたりしているヨ
でも、階段からコロコロ転げ落ちて泣いたヨ
キティちゃんの絆創膏でご機嫌になったけど
爺、じじといってお父さんを横取りするのも困るヨ
傍に行って親愛のペロペロすると
「いや! カンコあっちに行って」
て、押しのけるワン
マミちゃんもトモに掛かり切りで
薬の時とシャンプーの時ぐらいしか
遊んでくれないヨ
そうそう、私はアレルギーで興奮すると良くないて
先生から言われてるけど、
チエリとトモが気になり興奮しぱなしだワン
お父さんが、自転車の後ろにチエリを乗せる椅子を付けたので
前籠は、私の専用のまま
3人での自転車散歩は楽しいヨ
クルクル回ってウンコとシッコもしているヨ
近くの公園でチエリと一緒に写真を撮ってもらったヨ
でも、お父さんとお母さんとマミちゃんと4人の方がいいヨ
早く原子力発電所が直ってくれないかナ・・ワン
カノン
(完)
にほんブログ村
にほんブログ村
安達太良山に登る(山と友と凡人S-42)
2011年03月02日
本当の空を見に行こう
従妹を山登りに誘うと、行くとの返事だった。
中学、高校と陸上部で活躍していたから、年は取ったとはいえ安達太良山ぐらいは登れるだろう。
安達太良山に登るので、昔読んだ「智恵子抄」を読み直そうと思い本屋に行く。
しかし、見つけることが出来なかった。
Webで探すと、「青空文庫」からダウンロードできた。
既に著作権が切れているので問題ないらしい。
良い詩が沢山あった。
好きな詩を選び、印刷し小冊子に製本した。
智恵子が狂い始めた頃からの詩には特に心を打たれた。
2編を文末に引用しよう。
郡山で新幹線を下り、東北本線に乗り換え二本松に向かう。
二本松の駅には10時半に着いた。
予め予約していた昭和タクシーに乗り、安達太良山のゴンドラ駅に向かった。
「山は雲の中ですね」
「此方からは曇っていても、ゴンドラを降りると晴れていることが多いのですよ」
運転手の言葉に期待していると、奥岳温泉に近づくにつれ青空も見えだしてきた。
このタクシーはゴンドラとセットになっていて割安であった。
あだたらエクスプレスはゲレンデの上を通り、8合目薬師岳まで一気に上がった。
ゴンドラから降りると、安達太良山の頂上が薄すらと見えてきた。
登山開始。百メートルほど行くと薬師岳頂上がある。
・・・この上の空がほんとうの空です・・・
と書かれた標識があり、そこで記念写真が撮れるようになっている。
折り良く、ガスが上がり安達太良山の頂上が見えてきたので写真に納まった。
ガスは見る見る晴れ、青空が広がる。
「これが、ほんとうの空だよ」
私の感激とは別に、智恵子抄を読んだことのない従妹は、
「きれいな景色、故郷の目国内岳に似た山ね」
と言う。
日曜日でもあり登山者は多かった。
笹の茂った小道を暫く行くと緩やかな登りの石道となる。
従妹は学生の頃、ニセコに登ったことはあると言うが、50年も前のことである。
ゆっくり歩き、早めに休憩しながら登った。
「安達太良山は、頂上が乳首の様に突き出てているから乳首山とも呼ぶらしいよ。確かに目国内岳と似ているね。目国内岳は、子供の頃デベソ山と呼んでたんだよ」
空は晴れ渡り、安達太良山の頂上を真っ青な空がおおっている。
そして麓のほうには真っ白な雲が浮かんでいる。
私は、「ほんとうの空」を見ることが出来て満足していた。
この山だけは背景に青い空が見れないと登った価値が半減する。
6月と言うのに山桜が多く咲いている。
ヤシオツツジのピンクの花も綺麗だ。
仙女平で早めの休憩をとりオニギリを食べる。
少し行くとガレ場となり、視界が開ける。
乳首の岩峰の上に人が立っているのが見える。
1700メートル、赤茶けた岩峰からなる頂上は、まさに360度のパノラマが展開されていた。
北側の手前に鉄山が、その西に磐梯山が薄青色で聳えている。
北から東にかけて沼の平の大噴火口が見られる。
石の祠と写真に納まる。
地元大学の環境学科の学生達が登頂してきて、若い先生の説明を聞いている。
「この年になって山登りなんか考えてもいなかったわ。気持ちが良いものね」
息子にでも見せようと思ってか従妹は、頂上の祠に手をかけ携帯のカメラに納まり満足している。
快活だった少女も今では60才過ぎのお婆さんだ。

(完)

にほんブログ村

にほんブログ村
従妹を山登りに誘うと、行くとの返事だった。
中学、高校と陸上部で活躍していたから、年は取ったとはいえ安達太良山ぐらいは登れるだろう。
安達太良山に登るので、昔読んだ「智恵子抄」を読み直そうと思い本屋に行く。
しかし、見つけることが出来なかった。
Webで探すと、「青空文庫」からダウンロードできた。
既に著作権が切れているので問題ないらしい。
良い詩が沢山あった。
好きな詩を選び、印刷し小冊子に製本した。
智恵子が狂い始めた頃からの詩には特に心を打たれた。

2編を文末に引用しよう。
郡山で新幹線を下り、東北本線に乗り換え二本松に向かう。
二本松の駅には10時半に着いた。
予め予約していた昭和タクシーに乗り、安達太良山のゴンドラ駅に向かった。
「山は雲の中ですね」
「此方からは曇っていても、ゴンドラを降りると晴れていることが多いのですよ」
運転手の言葉に期待していると、奥岳温泉に近づくにつれ青空も見えだしてきた。
このタクシーはゴンドラとセットになっていて割安であった。
あだたらエクスプレスはゲレンデの上を通り、8合目薬師岳まで一気に上がった。
ゴンドラから降りると、安達太良山の頂上が薄すらと見えてきた。
登山開始。百メートルほど行くと薬師岳頂上がある。
・・・この上の空がほんとうの空です・・・
と書かれた標識があり、そこで記念写真が撮れるようになっている。
折り良く、ガスが上がり安達太良山の頂上が見えてきたので写真に納まった。
ガスは見る見る晴れ、青空が広がる。
「これが、ほんとうの空だよ」
私の感激とは別に、智恵子抄を読んだことのない従妹は、
「きれいな景色、故郷の目国内岳に似た山ね」
と言う。
日曜日でもあり登山者は多かった。
笹の茂った小道を暫く行くと緩やかな登りの石道となる。
従妹は学生の頃、ニセコに登ったことはあると言うが、50年も前のことである。
ゆっくり歩き、早めに休憩しながら登った。
「安達太良山は、頂上が乳首の様に突き出てているから乳首山とも呼ぶらしいよ。確かに目国内岳と似ているね。目国内岳は、子供の頃デベソ山と呼んでたんだよ」
空は晴れ渡り、安達太良山の頂上を真っ青な空がおおっている。
そして麓のほうには真っ白な雲が浮かんでいる。
私は、「ほんとうの空」を見ることが出来て満足していた。
この山だけは背景に青い空が見れないと登った価値が半減する。
6月と言うのに山桜が多く咲いている。
ヤシオツツジのピンクの花も綺麗だ。
仙女平で早めの休憩をとりオニギリを食べる。
少し行くとガレ場となり、視界が開ける。
乳首の岩峰の上に人が立っているのが見える。
1700メートル、赤茶けた岩峰からなる頂上は、まさに360度のパノラマが展開されていた。
北側の手前に鉄山が、その西に磐梯山が薄青色で聳えている。
北から東にかけて沼の平の大噴火口が見られる。
石の祠と写真に納まる。
地元大学の環境学科の学生達が登頂してきて、若い先生の説明を聞いている。
「この年になって山登りなんか考えてもいなかったわ。気持ちが良いものね」
息子にでも見せようと思ってか従妹は、頂上の祠に手をかけ携帯のカメラに納まり満足している。
快活だった少女も今では60才過ぎのお婆さんだ。

(完)
にほんブログ村
にほんブログ村
残雪の丹沢山塊(山と友と凡人S-17)
2011年02月05日
還暦同窓会
年が明けてまもなく封書が届いた。
「還暦の年となった。皆で集まって楽しく話そう」
5年毎に催される大学の同窓会である。
今回の幹事はYNらしい。
場所は有楽町という。
土曜日の4時半からの始まりである。
金曜日は出張で東京に行くので、翌日4時半まで暇である。
そう思いながら私の頭の中では、ある計画が必然の如く進行していた。
昨年の暮れ、雪の大菩薩峠を独りで歩いた。
その経験から考えると、早朝に出発すれば、4時半までに帰れる山があるはずた。
既に登った天城、大菩薩を除くと雲取山、丹沢山が候補にあがる。
登山ガイドやウエブで何度か調べた。
前日に小田急線渋沢駅からバスで大倉まで行き、麓の山小屋に泊まる。
朝5時出発すれば、丹沢山頂上に10時には着けそうである。
そうすれば、2時までに下山出来る。
2時間もあれば有楽町の会場まで行けるであろう。
鎌倉の大仏
出張は大船にあるS社で、午前中に終わった。
小雨の中、電車に乗り鎌倉に向う。
大仏さんを見るためである。
30分程歩けば大仏まで行けるらしいが、雨も降っているし風も出てきたのでバスで行くことにした。
駅から十数分の乗車でバスは立派な庭のある門の前に止まった。
高徳院である。
中に入ると大仏が見下しいてる。
青銅の大仏は確かに美男である
阿弥陀如来である
悟りを開いた如来は飾りものを身に付けていない
肩から掛けた衣一枚で蓮華座に座禅を組んでいる
傘をさし、暫く大仏さんに見とれていたが、雨と風で寒気がしたので、お土産屋に入り甘酒を飲むことにする。
炎を出して燃えている石油ストーブが恋しかったのだ。
「与謝野晶子の歌碑は何処にあるのですか」
「向こうに見える背の高い石ですよ。何て書いてあるのか私には読めませんが」
若い店員が屈託無く答える。
「ダメですよ、ここで働くなら歌碑ぐらい読めるように勉強しておかなければ、
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな
と書いてあるんですよ」
と教えてあげたかったが、余計なことのようで止めた。
ゆっくり甘酒を飲み、暖まってから歌碑に向かった。
「うぅむ・・・」
普通なら全く読めない流れる様な崩し文字である。
「確かに、釈迦牟尼となっている」
川端康成の小説に指摘されているように釈迦牟尼ではなく阿弥陀如来の間違いなのである。
私は、これを確かめたくて鎌倉に来たのだ。
その後、本覚寺に立ち寄った。
本尊は釈迦三尊であり、日蓮上人の分骨が納められていると書かれている。
私の目的はお参りである。
「どうか、明日晴れますように」
どんぐり荘
大倉に着いた時は、辺りが暗くなっていた。
「どんぐり荘はどっちですか」
降りる時、バスの運転手に尋ねる。
「どんぐり荘、ここですよ」
バスの停留所がどんぐり荘だと言う。
確かにどんぐりハウスと看板がある。
しかし、もう閉まっていて誰もいない。
私は、困ってしまった。
泊まる所を探さなければならない。
運よく、ラーメン屋のお婆さんが店を閉める為出てきた。
「済みません、どんぐり荘は何処ですか」
「ああ、奥の黄色いランプの点いている所ですよ」
母屋と宿泊用の山荘が並んで建っている。
明かりの点いた母屋から女性が出てきた。
「電話で、宿泊をお願いしたJNです」
「早く着かれて良かったですね」
私は、7時過ぎになると伝えていたのだ。
どんぐり荘に案内される。
比較的新しい山小屋風の建物である。
今夜の宿泊客は私1人の様だ。
「ストーブを点けましたので、寝る時消して下さい。テレビは自由に見て下さい。お風呂に入りますか」
「風呂にはいれるのですか、お願いします。明日、早く立ちますので、今夜の内に支払いを済ませたいのですが」
「わかりました。今、宿帳を取って来ますから」
宿帖に記入し、3500円を支払った。
明日は暗いうちに出発なので、登山口への道を尋ねた。
「この舗装道路を、まっすぐ行けば登山口に出ますから」
親切にも、道まで出て教えてくれた。
ストーブから温風が勢い良く吹き出している。
青い入浴剤の入った風呂にゆっくり浸かる。
暖かくなった部屋に戻り、テレビをつける。
「おっ、明日は曇りのち晴れか。大仏さんと本覚寺の御利益が出たかな」
明日は4時起床だ。早めに布団に潜り込む。
塔の岳目指して
夜中に目を覚ます。夢を見た様だ。
高校の友と山登りに来ていた。楽しい夢だった。
次に目が覚めたのは4時過ぎだった。
「よし、起きよう」
ストーブを点け、洗面所で顔を洗った。
ガラスと竹で作られたテーブルに向かい、パンと野菜ジュースの朝食をとる。
寒さが厳しい様なので十分着込んで出発しよう。
緩やかな登りの車道を行く。
車道は街灯があり明るかったが、登山道に入ると真っ暗となった。
ヘッドライトを灯し登り出す。
杉林の中に出来た道は、簡易舗装から小石の道となり、そして山道となった。
鬱蒼と茂る杉林を見上げると星空である。
しかも、満天の夜空だ。
これなら、間違いなく快晴となるであろう。
私は、ライトに照らされた道を快調なペースで進んだ。
そのせいもあり、かなり汗が出てきた。
雨具を脱ぎ、ヤッケの下のセーターも脱いだ。
杉林の間から街の明かりが見える。
見晴らしの茶屋への道は、その名の通り眼下に都会の夜景が見晴らせ、上を見ると、一面の星空が広がっていた。
私は得をした気分になった。
更に、堀出の家を過ぎた頃、朝焼けの山間からご来光を見るとが出来た。
調子が出てきたので、ストーンホップに協力する。
麓の石を山まで持って行く運動である。
丸太で造られた階段道を快調なペースで高度を稼いで行った。
下方から、登山者の姿が見えてきた。それもかなりのハイピッチで。
「おはようございます。今日は暖かいですね」
30代と思われる彼は、大きなザックを背負い、立ち止まることなしに追い越していった。
やがて雪道となった。階段に出きた雪の足跡は凍結していた。
花立山荘まではキッイ登りが続いた。
息が上がってきたので、ストーンホップの石を道端に置いた。
ブナ林の切れ目から富士山が見える。
何という素晴らしい富士だ。
これまで私の見た中で最も美しい富士だ。
大菩薩峠では見ることが出来なかった富士だ。
私は感動しながら登った。
以前、富士急ハイランドから三島に向かったタクシーの中で、Yが言った言葉を思い出す。
「JNさん、富士が素晴らしいではないか。富士山がちゃんと俺達を見ているよ。疲れを知らない開発者にならないとな。富士がちゃんと見ているよ」
8時丁度、塔の岳頂上に辿り着く。
登山者が一人、頻りに写真を撮っている。
ヤッピ峠から早朝に来たのであろう。
尊仏山荘前の広場に作られた板張りベンチにザックを下ろす。
大きく伸びをする。それにしても、この景観はどうだ。
眼前に遮るものはなく、空は快晴で雲一つ無い。
富士が冠雪を抱き両裾野を長く引き対称の美を誇示している。
干し魚を摘みにウイスキーをチビリと飲む。
今回はバランタインだ。おにぎりを一個食べる。
塔の岳は1,490メートルであるが、登山口が250メートルと低いので、この大倉尾根コースは冬場はかなり体力を要する。
丹沢山へ
さあ、丹沢山に向かおうとザックを背負い立ち上がったが、標識が見あたらない。
足跡は尊仏山荘で行き止まりである。
折よく、山荘の人が外に出てきたので尋ねる。
「あっちだ」
と無愛想に指さす。
小屋の横に標識はあったが、雪原で足跡は見あたらない。
良く見ると、僅かに1人通った足跡があった。
私を追い抜いて行った文太郎みたいな奴の足跡だろう。
救われた気持ちでその跡を辿った。
吹きさらしの所は雪が硬く、その上を気持ちよく歩くことが出来る。
しかし、柔雪の所では膝まで埋まってしまう。
塔の岳から沢をだいぶ下った。
ウサギの足跡が多い。
いや、丹沢なのでシカかもしれない。
何故か足跡は登山道に沿っているので、迷うことなく雪原を進むことが出来た。
快晴で、雪原を歩くのは気持ちがいい。
目を移すと、丹沢山塊が水墨画のように美しい。
サックサックと雪を踏む音も心地よい。
しかし、長くは続かず、ズボッズボッと埋まる雪道となる。
竜ケ馬場から最後の登りはさすがに息切れがした。
私は、急な登りに弱いのである。
富士山の時もそうだし、穂高の時もそうだった。
数歩登っては立ち止まり、又登っては立ち止まるを繰り返し、そして息を継いだ。
その代わり、緩やかな登りや下りは得意のハイペースで闊歩出来た。
「私のエンジンは軽四並だな」
と独り声を出して笑った。
ソーラーパネルと山小屋が見えてきた。
9時20分、丹沢頂上に着いたのだ。
頂上は一面の雪野原で木で作られたベンチは皆雪を被っていた。
17番目の百名山登頂をウイスキーで乾杯した。
干し魚と甘納豆を食った。
干し魚と甘納豆は加藤文太郎の冬山の常備食だというので、今回買って来たのである。
丹沢山頂は、木立に囲まれ塔の岳ほど視界はきかない。
富士も見えない。
誰一人、登ってこない。
私は、山に登る前に関連した小説を読むことにしている。
丹沢を書いた小説を見いだせなかったので、新田次郎の「孤高の人」を読んでいた。
その中で、「なぜ山に登るか」の命題に対し、単独行の加藤文太郎は、「汗を流す為に山に登る」と初期に答えている。しかし、後年には「人間は困難な立場に追い込まれれば、追い込まれるほど成長する、その困難な場を求めために登るのではないか」と考えるようになる。それは、苦行によって悟りを開らこうとするバラモンの僧と一部共通するとも。
「なぜ山に登るか」は、永遠の命題であり、山に登る者一人一人、その時代で異なっても良いであろう。
山登りをする者、時には考えてみるのも意義のあることと思う。
私の場合、これまでの山登り記で書いた様に、
「何か変わろう。何かを吹っ切ろう」として山に登り、「何も変わらず」戻ってくるのが常であった。
年に一度あるか無いかの山登りではこれで良かった。
しかし、山登りを趣味とし回数が多くなると、目的が変わってきていることは事実であった。
薄らと頭の中で形成されつつあるが、言葉に表すほどまだ明確になっていない。
ただ現実的には、「山に関する小説を読み」「山に登り」「山のCGを描き、山登り記を作る」楽しみの為なのである。又、仕事中心の35年から、第二の人生への価値観の転換も根底にあった。
「さあ、下山だ。後はそんなに苦労はなかろう。
得意の早足で1時までにはバス停に着けるだろう」
快晴の雪原を大股で下る。
雪に埋まろうがお構いなしに歩を進める。
竜ケ馬場から日高に差しかかった頃、丹沢山を目指す登山者に行き交うようになる。
中高年の山男は単独行が多い。
女性登山者は3、4人のパーティを組んでいる。
若者は男女混成組が多い。
大倉に戻ったのは、12時五50である。
計画より、40分早い。
バスの発車は1時38分である。
ゆっくりビールを飲み、山のバッチと絵葉書を買い大倉を後にした。
同窓会
小田急線の車窓から表丹沢の山塊を眺めながら東京に向かった。
有楽町にあるニユートーキヨー「ラ・ステラ」で還暦同窓会が行われた。
久ぶりに友と語らい、 最後に「都ぞ弥生」を歌った
(完)

にほんブログ村
年が明けてまもなく封書が届いた。
「還暦の年となった。皆で集まって楽しく話そう」
5年毎に催される大学の同窓会である。
今回の幹事はYNらしい。
場所は有楽町という。
土曜日の4時半からの始まりである。
金曜日は出張で東京に行くので、翌日4時半まで暇である。
そう思いながら私の頭の中では、ある計画が必然の如く進行していた。
昨年の暮れ、雪の大菩薩峠を独りで歩いた。
その経験から考えると、早朝に出発すれば、4時半までに帰れる山があるはずた。

既に登った天城、大菩薩を除くと雲取山、丹沢山が候補にあがる。
登山ガイドやウエブで何度か調べた。
前日に小田急線渋沢駅からバスで大倉まで行き、麓の山小屋に泊まる。
朝5時出発すれば、丹沢山頂上に10時には着けそうである。
そうすれば、2時までに下山出来る。
2時間もあれば有楽町の会場まで行けるであろう。
鎌倉の大仏
出張は大船にあるS社で、午前中に終わった。
小雨の中、電車に乗り鎌倉に向う。
大仏さんを見るためである。
30分程歩けば大仏まで行けるらしいが、雨も降っているし風も出てきたのでバスで行くことにした。
駅から十数分の乗車でバスは立派な庭のある門の前に止まった。
高徳院である。
中に入ると大仏が見下しいてる。
青銅の大仏は確かに美男である
阿弥陀如来である
悟りを開いた如来は飾りものを身に付けていない
肩から掛けた衣一枚で蓮華座に座禅を組んでいる
傘をさし、暫く大仏さんに見とれていたが、雨と風で寒気がしたので、お土産屋に入り甘酒を飲むことにする。
炎を出して燃えている石油ストーブが恋しかったのだ。
「与謝野晶子の歌碑は何処にあるのですか」
「向こうに見える背の高い石ですよ。何て書いてあるのか私には読めませんが」
若い店員が屈託無く答える。
「ダメですよ、ここで働くなら歌碑ぐらい読めるように勉強しておかなければ、
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな
と書いてあるんですよ」
と教えてあげたかったが、余計なことのようで止めた。
ゆっくり甘酒を飲み、暖まってから歌碑に向かった。
「うぅむ・・・」
普通なら全く読めない流れる様な崩し文字である。
「確かに、釈迦牟尼となっている」
川端康成の小説に指摘されているように釈迦牟尼ではなく阿弥陀如来の間違いなのである。
私は、これを確かめたくて鎌倉に来たのだ。
その後、本覚寺に立ち寄った。
本尊は釈迦三尊であり、日蓮上人の分骨が納められていると書かれている。
私の目的はお参りである。
「どうか、明日晴れますように」
どんぐり荘
大倉に着いた時は、辺りが暗くなっていた。
「どんぐり荘はどっちですか」
降りる時、バスの運転手に尋ねる。
「どんぐり荘、ここですよ」
バスの停留所がどんぐり荘だと言う。
確かにどんぐりハウスと看板がある。
しかし、もう閉まっていて誰もいない。
私は、困ってしまった。
泊まる所を探さなければならない。
運よく、ラーメン屋のお婆さんが店を閉める為出てきた。
「済みません、どんぐり荘は何処ですか」
「ああ、奥の黄色いランプの点いている所ですよ」
母屋と宿泊用の山荘が並んで建っている。
明かりの点いた母屋から女性が出てきた。
「電話で、宿泊をお願いしたJNです」
「早く着かれて良かったですね」
私は、7時過ぎになると伝えていたのだ。
どんぐり荘に案内される。
比較的新しい山小屋風の建物である。
今夜の宿泊客は私1人の様だ。
「ストーブを点けましたので、寝る時消して下さい。テレビは自由に見て下さい。お風呂に入りますか」
「風呂にはいれるのですか、お願いします。明日、早く立ちますので、今夜の内に支払いを済ませたいのですが」
「わかりました。今、宿帳を取って来ますから」
宿帖に記入し、3500円を支払った。
明日は暗いうちに出発なので、登山口への道を尋ねた。
「この舗装道路を、まっすぐ行けば登山口に出ますから」
親切にも、道まで出て教えてくれた。
ストーブから温風が勢い良く吹き出している。
青い入浴剤の入った風呂にゆっくり浸かる。
暖かくなった部屋に戻り、テレビをつける。
「おっ、明日は曇りのち晴れか。大仏さんと本覚寺の御利益が出たかな」
明日は4時起床だ。早めに布団に潜り込む。
塔の岳目指して
夜中に目を覚ます。夢を見た様だ。
高校の友と山登りに来ていた。楽しい夢だった。
次に目が覚めたのは4時過ぎだった。
「よし、起きよう」
ストーブを点け、洗面所で顔を洗った。
ガラスと竹で作られたテーブルに向かい、パンと野菜ジュースの朝食をとる。
寒さが厳しい様なので十分着込んで出発しよう。
緩やかな登りの車道を行く。

車道は街灯があり明るかったが、登山道に入ると真っ暗となった。
ヘッドライトを灯し登り出す。
杉林の中に出来た道は、簡易舗装から小石の道となり、そして山道となった。
鬱蒼と茂る杉林を見上げると星空である。
しかも、満天の夜空だ。
これなら、間違いなく快晴となるであろう。
私は、ライトに照らされた道を快調なペースで進んだ。
そのせいもあり、かなり汗が出てきた。
雨具を脱ぎ、ヤッケの下のセーターも脱いだ。
杉林の間から街の明かりが見える。
見晴らしの茶屋への道は、その名の通り眼下に都会の夜景が見晴らせ、上を見ると、一面の星空が広がっていた。
私は得をした気分になった。
更に、堀出の家を過ぎた頃、朝焼けの山間からご来光を見るとが出来た。
調子が出てきたので、ストーンホップに協力する。
麓の石を山まで持って行く運動である。
丸太で造られた階段道を快調なペースで高度を稼いで行った。
下方から、登山者の姿が見えてきた。それもかなりのハイピッチで。
「おはようございます。今日は暖かいですね」
30代と思われる彼は、大きなザックを背負い、立ち止まることなしに追い越していった。
やがて雪道となった。階段に出きた雪の足跡は凍結していた。
花立山荘まではキッイ登りが続いた。
息が上がってきたので、ストーンホップの石を道端に置いた。
ブナ林の切れ目から富士山が見える。
何という素晴らしい富士だ。
これまで私の見た中で最も美しい富士だ。
大菩薩峠では見ることが出来なかった富士だ。
私は感動しながら登った。
以前、富士急ハイランドから三島に向かったタクシーの中で、Yが言った言葉を思い出す。
「JNさん、富士が素晴らしいではないか。富士山がちゃんと俺達を見ているよ。疲れを知らない開発者にならないとな。富士がちゃんと見ているよ」
8時丁度、塔の岳頂上に辿り着く。
登山者が一人、頻りに写真を撮っている。
ヤッピ峠から早朝に来たのであろう。
尊仏山荘前の広場に作られた板張りベンチにザックを下ろす。
大きく伸びをする。それにしても、この景観はどうだ。
眼前に遮るものはなく、空は快晴で雲一つ無い。
富士が冠雪を抱き両裾野を長く引き対称の美を誇示している。
干し魚を摘みにウイスキーをチビリと飲む。
今回はバランタインだ。おにぎりを一個食べる。
塔の岳は1,490メートルであるが、登山口が250メートルと低いので、この大倉尾根コースは冬場はかなり体力を要する。
丹沢山へ
さあ、丹沢山に向かおうとザックを背負い立ち上がったが、標識が見あたらない。
足跡は尊仏山荘で行き止まりである。
折よく、山荘の人が外に出てきたので尋ねる。
「あっちだ」
と無愛想に指さす。
小屋の横に標識はあったが、雪原で足跡は見あたらない。
良く見ると、僅かに1人通った足跡があった。
私を追い抜いて行った文太郎みたいな奴の足跡だろう。
救われた気持ちでその跡を辿った。
吹きさらしの所は雪が硬く、その上を気持ちよく歩くことが出来る。
しかし、柔雪の所では膝まで埋まってしまう。
塔の岳から沢をだいぶ下った。
ウサギの足跡が多い。
いや、丹沢なのでシカかもしれない。
何故か足跡は登山道に沿っているので、迷うことなく雪原を進むことが出来た。
快晴で、雪原を歩くのは気持ちがいい。
目を移すと、丹沢山塊が水墨画のように美しい。
サックサックと雪を踏む音も心地よい。
しかし、長くは続かず、ズボッズボッと埋まる雪道となる。
竜ケ馬場から最後の登りはさすがに息切れがした。
私は、急な登りに弱いのである。
富士山の時もそうだし、穂高の時もそうだった。
数歩登っては立ち止まり、又登っては立ち止まるを繰り返し、そして息を継いだ。
その代わり、緩やかな登りや下りは得意のハイペースで闊歩出来た。
「私のエンジンは軽四並だな」
と独り声を出して笑った。
ソーラーパネルと山小屋が見えてきた。
9時20分、丹沢頂上に着いたのだ。
頂上は一面の雪野原で木で作られたベンチは皆雪を被っていた。
17番目の百名山登頂をウイスキーで乾杯した。
干し魚と甘納豆を食った。
干し魚と甘納豆は加藤文太郎の冬山の常備食だというので、今回買って来たのである。
丹沢山頂は、木立に囲まれ塔の岳ほど視界はきかない。
富士も見えない。
誰一人、登ってこない。
私は、山に登る前に関連した小説を読むことにしている。
丹沢を書いた小説を見いだせなかったので、新田次郎の「孤高の人」を読んでいた。
その中で、「なぜ山に登るか」の命題に対し、単独行の加藤文太郎は、「汗を流す為に山に登る」と初期に答えている。しかし、後年には「人間は困難な立場に追い込まれれば、追い込まれるほど成長する、その困難な場を求めために登るのではないか」と考えるようになる。それは、苦行によって悟りを開らこうとするバラモンの僧と一部共通するとも。
「なぜ山に登るか」は、永遠の命題であり、山に登る者一人一人、その時代で異なっても良いであろう。
山登りをする者、時には考えてみるのも意義のあることと思う。
私の場合、これまでの山登り記で書いた様に、
「何か変わろう。何かを吹っ切ろう」として山に登り、「何も変わらず」戻ってくるのが常であった。
年に一度あるか無いかの山登りではこれで良かった。
しかし、山登りを趣味とし回数が多くなると、目的が変わってきていることは事実であった。
薄らと頭の中で形成されつつあるが、言葉に表すほどまだ明確になっていない。
ただ現実的には、「山に関する小説を読み」「山に登り」「山のCGを描き、山登り記を作る」楽しみの為なのである。又、仕事中心の35年から、第二の人生への価値観の転換も根底にあった。
「さあ、下山だ。後はそんなに苦労はなかろう。
得意の早足で1時までにはバス停に着けるだろう」
快晴の雪原を大股で下る。
雪に埋まろうがお構いなしに歩を進める。
竜ケ馬場から日高に差しかかった頃、丹沢山を目指す登山者に行き交うようになる。
中高年の山男は単独行が多い。
女性登山者は3、4人のパーティを組んでいる。
若者は男女混成組が多い。
大倉に戻ったのは、12時五50である。
計画より、40分早い。
バスの発車は1時38分である。
ゆっくりビールを飲み、山のバッチと絵葉書を買い大倉を後にした。
同窓会
小田急線の車窓から表丹沢の山塊を眺めながら東京に向かった。
有楽町にあるニユートーキヨー「ラ・ステラ」で還暦同窓会が行われた。
久ぶりに友と語らい、 最後に「都ぞ弥生」を歌った
(完)
にほんブログ村
正月の散歩
2011年01月02日
寒波の襲来とかで寒いさむい
マミちゃんに防寒ダウンを買ってもらったので
早速着込み
自転車の前籠に入り
お父さんと近くの公園までいきました
あっちをクンクン
こっちをクンクン
シッコポイントを見つけ
グルグル4、5回まわり
上手にシッコで円を描くの
人間の子供が近づいてきて
「かわいいね」
て寄ってくると、お父さんは
「怖くないから、なぜなぜしてごらん」
て言うの
親愛のペロペロすると
キャーキャー逃げるよ
公園の端にウンコポイントもあるの
そこでも4、5回まわると
なんとか、ウンコを絞りだせるのよ
正月とかで
東京の夫婦が孫を連れてきたの
チエリは2歳で
同じぐらいの知能指数と思い
遊ぼうて 手や足を舐めると
「いや、カン子あっちに行って」
て言うのよ
トモはまだハイハイも出来ないので
傍にいって顔を舐めてやるの
そうそう、私の血統書の正式名はカノンなんだけど
みんな、カン子て呼ぶの
もうすぐ9歳だから
私も高齢犬の仲間入り
チエリとトモが来てから
我が家の主役の座を奪われ
「カン子、邪魔だからあっちに行ってなさい」
てお母さんに言われるの
マミちゃんが、風邪を拗らして寝ているので
頼りになるのはお父さんだけ
でも、チエリの相手で忙しそうだし
顔色を伺いながら
クンクン鼻を擦りつけ散歩をねだるの
元旦も寒かったけど
午後から日が射したので
自転車の前籠に入り 毛布にくるまり
酒津公園に行ったの
凧上げしている人がいたよ
例のポイントでクルクル
シッコはしたけど
寒くてブルブル
たまらず お父さんにダッコをせがんだの
動かない変な人の前で
お父さんは私の写真を撮り
「寒いから、カンちゃん帰ろう」
家に帰ると
チエリとトモの天下が
でも 明日帰るそうだから
仲良くしょう
カノン
(完)

にほんブログ村

にほんブログ村
マミちゃんに防寒ダウンを買ってもらったので
早速着込み
自転車の前籠に入り
お父さんと近くの公園までいきました
あっちをクンクン
こっちをクンクン
シッコポイントを見つけ
グルグル4、5回まわり
上手にシッコで円を描くの
人間の子供が近づいてきて
「かわいいね」
て寄ってくると、お父さんは
「怖くないから、なぜなぜしてごらん」
て言うの
親愛のペロペロすると
キャーキャー逃げるよ
公園の端にウンコポイントもあるの
そこでも4、5回まわると
なんとか、ウンコを絞りだせるのよ
正月とかで
東京の夫婦が孫を連れてきたの
チエリは2歳で
同じぐらいの知能指数と思い
遊ぼうて 手や足を舐めると
「いや、カン子あっちに行って」
て言うのよ
トモはまだハイハイも出来ないので
傍にいって顔を舐めてやるの
そうそう、私の血統書の正式名はカノンなんだけど
みんな、カン子て呼ぶの
もうすぐ9歳だから
私も高齢犬の仲間入り
チエリとトモが来てから
我が家の主役の座を奪われ
「カン子、邪魔だからあっちに行ってなさい」
てお母さんに言われるの
マミちゃんが、風邪を拗らして寝ているので
頼りになるのはお父さんだけ
でも、チエリの相手で忙しそうだし
顔色を伺いながら
クンクン鼻を擦りつけ散歩をねだるの
元旦も寒かったけど
午後から日が射したので
自転車の前籠に入り 毛布にくるまり
酒津公園に行ったの
凧上げしている人がいたよ
例のポイントでクルクル
シッコはしたけど
寒くてブルブル
たまらず お父さんにダッコをせがんだの
動かない変な人の前で
お父さんは私の写真を撮り
「寒いから、カンちゃん帰ろう」
家に帰ると
チエリとトモの天下が
でも 明日帰るそうだから
仲良くしょう
カノン
(完)
にほんブログ村
にほんブログ村
空木岳単独行(山と友と凡人S-52)
2010年11月21日
小雨の菅ノ台で孤独にテント泊
Sは毎週末 山に行っている。
TSも、岡山事業所に山楽同好会を作り活躍している。
刺激されたわけではないが、私も今年中には10座登頂を目指している。
既に6座登っているが8月にも2座目指したい。
TKに電話すると北穂、奥穂、前穂を単独行すると云う。
「北穂高からの縦走コースと前穂高の吊り尾根は天候が悪いと危険だから気をつけて行ってきてよ」
とメールする。
TKが一緒に行けないとなるとレンタカーの利用ができない。
公共機関で行く計画を立てる。
宝剣から空木岳へ縦走したいが、独りでは心もとない。
インターネツトで調べると、空木岳を日帰りしている人の登山録も見られる。
登山口の菅ノ台にはキャンプ場もある。
ここをベースに空木岳日帰りの計画を練る。
菅ノ台キャンプセンターには午
後4時に着いた。
受付で千円の幕張料を払う。
「明日、空木に登って戻ってくるのでテントをそのままにしておきいのですが」
と言うと受付の若い男が困ったような顔をしている。
明日の午前中までが一日の料金らしい。
管理人の女性に訳を話し、入園料の300円を追加し了承してもらう。
雨はまだ降っており、テントを張る気になれない。
建物の前で小降りになるのを待つ。
バンガロー利用の車が4台あるが、キャンプするのは私一人のようだ。
雨も小降りとなったので木立の下にテントを張る。
炊事場から水を汲んできてテント内で湯を沸かし、いつものレトルトご飯にカレーを添える。
さんまの蒲焼、それにトマト2個の野菜も加わる。
ビールのないのが残念だが、ウィスキーをチビリ飲み宴とする。
携帯のアラームを3時にセットし早めにシュラフに入る。
一眠りして目を覚ますと周りが明るい。
テントから顔を出すと、すぐ前の水銀灯が明々と灯っている。
空を見ると月が出ている。
明るい気分になりテントを出てトイレに向かう。
バンガローでは若者がサークルをつくり歌っている。
明日の天気を願ってまたシュラフに潜り込む。
空木岳ピストン
空木岳を日帰りする人はいるが、林道終点まで車で行っている。
キャンプ場から林道終点まで2時間かかるので、朝は早く出る必要がある。
「よーし、登るぞ」
とシュラフを抜け出し、パンとジュースで腹ごしらえをする。
4時前にスタート。
林道終点には5時半に着いた。
登山者の車が4台駐車している。
休むことなく登り続けると、女性の登山者に合う。
「おはようございます。珍しいキノコがありますよ」
写真を撮っている彼女を後に先を急ぐ。
6時、タカウチ場に着く。
心配した雨は無さそうなので気分が良い。
池山を迂回して進む。
7時10分、大きな樹にマセナギと書かれた標識がある。
この辺りから険しい道が続く。
大地獄、小地獄と呼ばれる道幅の狭い尾根を越えていく。
9時半、非難小屋への分岐を通過する頃には空も明るくなる。
前方に特徴的な岩のあるピークが現れる。駒石だ。
更に30分ほど行くと駒峰シュッテに着いた。
単独行の男が休憩をしている。
ここから頂上までのコースタイムは10分だ。
一安心して休憩し、頂上を目指す。
ところが、かなり早足で登ったのに30分近くかかった。
11時頂上踏破。
遠くの眺望は叶わなかったが、近くの山々はきれいに見えた。
小屋で会った男が登ってくる。
「小屋から10分はないよね」
彼も、この表示には不満のようだ。
お互い写真を取り合う。
キャンプ場からのコースタイムは8時間45分である。2時間縮めた。
帰りを急ぎ早々に下山する。
コースタイムでは登山口まで5時間10分、更にキャンプ場まで1時間かかるのだ。
菅ノ台発4時39分のバスに乗るためには2時間は短縮しないといけない。
「間に合わなければ林道からタクシーを呼ぼう」
と思いながら、ほとんど休むことなく歩いた。
道の良いところでは走りに近かった。
菅ノ台登山口に戻ったのは3時である。
さすがに疲れたが、気を緩めるわけにはいかない。
できればキャンプ場でシャワーを浴びたい。
キャンプ場に戻り、テントをたたむと4時を過ぎていた。
シャワーの余裕は無い。
13キロのザツクを担ぎバスセンターに向かう。
この15分がキツかった。
駒ヶ根で1時間ほど余裕があつたので、乗り場を確認してからビールを飲もうと思っていた。
インターネットでの調べでは、駅前のスズラン通りに高速バスの停留所があると地図に印てあった。
ところが、数回往復して探しても停留所を見つけることが出来ないのだ。
犬を連れた女性に尋ねると
「皆さんによく聞かれるんですよ。分かりずらいので一緒に行ってあげます」
と親切にも案内してくれる。
地図に印された所から2丁ほど右に折れ、更に駅の方に2丁戻った所に伊那バス営業所があった。
此処から出ると云う。
「それはないだろう、インターネットで調べた人は皆乗り遅れるよ」
幸い時間に余裕があったのと親切な女性に尋ねたので難を逃れたが。
食道に行く時間がなくなり、仕方なく停留所の自動販売機からパンとジュースを出し我慢した。
「どちらの山に登られたのですか」
名古屋行き高速バスを待っていると、出張帰りらしい2人連れに話かけられた。
年齢は40才前後か
「私も山が好きでよく登るのですよ」
バスを待ちながら、しばし山の話をした。
70座近く登った現在では、大概の山の話には合わせることが出来るようになっていた。
名古屋で居酒屋に入り、漸くビールにありつけた。
〈今回の計画は少し無謀だったな・・・・・〉
〈これでは、ただ登ることが目的で、シンドイだけではないか・・・・・〉
〈しかし、山登りはこのシンドさがいいんだよな・・・・・〉
倉敷行き夜行バスの発車まで時間がたっぶりあった。
独りカウンターで焼き魚を摘みビールを傾けた。
(完)

にほんブログ村
Sは毎週末 山に行っている。
TSも、岡山事業所に山楽同好会を作り活躍している。
刺激されたわけではないが、私も今年中には10座登頂を目指している。
既に6座登っているが8月にも2座目指したい。
TKに電話すると北穂、奥穂、前穂を単独行すると云う。
「北穂高からの縦走コースと前穂高の吊り尾根は天候が悪いと危険だから気をつけて行ってきてよ」
とメールする。
TKが一緒に行けないとなるとレンタカーの利用ができない。
公共機関で行く計画を立てる。
宝剣から空木岳へ縦走したいが、独りでは心もとない。
インターネツトで調べると、空木岳を日帰りしている人の登山録も見られる。
登山口の菅ノ台にはキャンプ場もある。
ここをベースに空木岳日帰りの計画を練る。
菅ノ台キャンプセンターには午
後4時に着いた。
受付で千円の幕張料を払う。
「明日、空木に登って戻ってくるのでテントをそのままにしておきいのですが」
と言うと受付の若い男が困ったような顔をしている。
明日の午前中までが一日の料金らしい。
管理人の女性に訳を話し、入園料の300円を追加し了承してもらう。
雨はまだ降っており、テントを張る気になれない。
建物の前で小降りになるのを待つ。
バンガロー利用の車が4台あるが、キャンプするのは私一人のようだ。
雨も小降りとなったので木立の下にテントを張る。
炊事場から水を汲んできてテント内で湯を沸かし、いつものレトルトご飯にカレーを添える。
さんまの蒲焼、それにトマト2個の野菜も加わる。
ビールのないのが残念だが、ウィスキーをチビリ飲み宴とする。
携帯のアラームを3時にセットし早めにシュラフに入る。
一眠りして目を覚ますと周りが明るい。
テントから顔を出すと、すぐ前の水銀灯が明々と灯っている。
空を見ると月が出ている。
明るい気分になりテントを出てトイレに向かう。
バンガローでは若者がサークルをつくり歌っている。
明日の天気を願ってまたシュラフに潜り込む。
空木岳ピストン
空木岳を日帰りする人はいるが、林道終点まで車で行っている。
キャンプ場から林道終点まで2時間かかるので、朝は早く出る必要がある。
「よーし、登るぞ」
とシュラフを抜け出し、パンとジュースで腹ごしらえをする。
4時前にスタート。
林道終点には5時半に着いた。
登山者の車が4台駐車している。
休むことなく登り続けると、女性の登山者に合う。
「おはようございます。珍しいキノコがありますよ」
写真を撮っている彼女を後に先を急ぐ。
6時、タカウチ場に着く。

心配した雨は無さそうなので気分が良い。
池山を迂回して進む。
7時10分、大きな樹にマセナギと書かれた標識がある。
この辺りから険しい道が続く。
大地獄、小地獄と呼ばれる道幅の狭い尾根を越えていく。
9時半、非難小屋への分岐を通過する頃には空も明るくなる。
前方に特徴的な岩のあるピークが現れる。駒石だ。
更に30分ほど行くと駒峰シュッテに着いた。
単独行の男が休憩をしている。
ここから頂上までのコースタイムは10分だ。
一安心して休憩し、頂上を目指す。
ところが、かなり早足で登ったのに30分近くかかった。
11時頂上踏破。
遠くの眺望は叶わなかったが、近くの山々はきれいに見えた。
小屋で会った男が登ってくる。
「小屋から10分はないよね」
彼も、この表示には不満のようだ。
お互い写真を取り合う。
キャンプ場からのコースタイムは8時間45分である。2時間縮めた。
帰りを急ぎ早々に下山する。
コースタイムでは登山口まで5時間10分、更にキャンプ場まで1時間かかるのだ。
菅ノ台発4時39分のバスに乗るためには2時間は短縮しないといけない。
「間に合わなければ林道からタクシーを呼ぼう」
と思いながら、ほとんど休むことなく歩いた。
道の良いところでは走りに近かった。
菅ノ台登山口に戻ったのは3時である。
さすがに疲れたが、気を緩めるわけにはいかない。
できればキャンプ場でシャワーを浴びたい。
キャンプ場に戻り、テントをたたむと4時を過ぎていた。
シャワーの余裕は無い。
13キロのザツクを担ぎバスセンターに向かう。
この15分がキツかった。
駒ヶ根で1時間ほど余裕があつたので、乗り場を確認してからビールを飲もうと思っていた。
インターネットでの調べでは、駅前のスズラン通りに高速バスの停留所があると地図に印てあった。
ところが、数回往復して探しても停留所を見つけることが出来ないのだ。
犬を連れた女性に尋ねると
「皆さんによく聞かれるんですよ。分かりずらいので一緒に行ってあげます」
と親切にも案内してくれる。
地図に印された所から2丁ほど右に折れ、更に駅の方に2丁戻った所に伊那バス営業所があった。
此処から出ると云う。
「それはないだろう、インターネットで調べた人は皆乗り遅れるよ」
幸い時間に余裕があったのと親切な女性に尋ねたので難を逃れたが。
食道に行く時間がなくなり、仕方なく停留所の自動販売機からパンとジュースを出し我慢した。
「どちらの山に登られたのですか」
名古屋行き高速バスを待っていると、出張帰りらしい2人連れに話かけられた。
年齢は40才前後か
「私も山が好きでよく登るのですよ」
バスを待ちながら、しばし山の話をした。
70座近く登った現在では、大概の山の話には合わせることが出来るようになっていた。
名古屋で居酒屋に入り、漸くビールにありつけた。
〈今回の計画は少し無謀だったな・・・・・〉
〈これでは、ただ登ることが目的で、シンドイだけではないか・・・・・〉
〈しかし、山登りはこのシンドさがいいんだよな・・・・・〉
倉敷行き夜行バスの発車まで時間がたっぶりあった。
独りカウンターで焼き魚を摘みビールを傾けた。
(完)
にほんブログ村
タグ :空木山菅ノ台キャンプセンター
47年ぶりに旭岳に登る(山と友と凡人S-58)
2010年10月18日
同窓会の案内
今年は、大雪山の麓・旭岳温泉で大学の同窓会をするという。
47年前のことが思い出される。
Fと2人でテントを担いで登ったことを。
朝、晴れて旭岳が姿見の池に奇麗に写っていた。
それが、頂上に着いたときは激しい濃霧で1メートル先も見えなくなった。
黒岳へ向かっていたがあえ無く引きかえしたのだ。
「リベンジして快晴の北海道の頂上に立ってみよう。」
6月末は、ゴンドラが動きただしているので、2時間程度で頂上まで行けるだろう。
昨年の骨折でプレートとボルトがまだ足首に入っているがゆっくり登れば問題ないはずだ。
幹事のWに問い合わせると、アクセスの情報をメールしてくれた。
岡山、千歳の便で行くと、公共機関でその日のうちに旭岳温泉に入ることは無理である。
そうだ、KIを誘おう。
早速メールすると、返信がくる。
「前日まで、韓国に旅行しているが、大丈夫、一緒に行けます」
6月27日、私は、岡山発ANA379便で千歳に向かっていた。
スーパ旅割では1万3千7百円と割安である。
天候が良く、新千歳空港には10分ほど早く着いた。
待ち合わせの駐車場に向い、新しく出来た国際線への通路を行くと、見慣れた女性がこちらに向かってくる。
「飛行機が早く着くことなんてあるの」
「夕張から高速を降りて、富良野、美瑛を通って旭岳温泉にゆくね。その方が景色も良いし、時間的にも旭川経由とそんなに変わらないと思うよ」
私は、ホテルの夕食の時間が気になっていたが、7時半までに着けば良いので大丈夫だろうとKIの運転にまかせた。
夕張ICより274号線を占冠(しむかっぷ)に向った。
富良野から美瑛に向う237号線沿いには美しい田園風景が広がる。
そして、十勝岳、美瑛岳の雄姿が近づいてくる。
「すばらしいね。トムラウシも見えるよ。こんな景色初めて」
やがて、美瑛の街を過ぎ、旭岳への213号線に入り、山道を登っていく。
前方に西日を浴びた旭岳が現れる。
「展望駐車場があるよ、寄ってみる」
降りてみると、樹林の間から湖が広がる。忠別湖と記されている。
「うあ! 凄い旭岳が表面に聳えている」
「逆さ旭岳が綺麗」
こんな眺めの良いところがあるとは知らなかった。
正に絶景である。
裾野を長く伸ばした旭岳が、火山灰に薄らと残雪を被り、それが夕日を浴び薄ピンクに輝いている。
「後姿を入れて、写真とつてね」
KIの所望である。
確かに、バツクスタイルだと、アルプスの乙女と云って通るかもしれない。
液晶板を見るとかなり良い構図だと微笑む。
姿見の池まで下山すると、直ぐ近くに立派な石室がある。
47年前は、まさに石室そのものであったが、石を散りばめた壁もハイカラで、室内も明るい。
ゴンドラからは、散策客が多く吐き出されてくる。
彼らに交じり、夫婦池の方をまわり我々も散策する。
メアカンキンバエ、イワブクロウ、エゾイソツツジにエゾコザクラ。
KIは、途中であった夫婦連れと高山植物談義を始める。
「このツガザクラに似た白い花は何でしょうね」
後で分かったのであるがジムカデという名である。
まだ早いかなと思われたチングルマも一角に白い小さな花を付けていた。
小さなピンクの花はエゾツガザクラ、薄紫のミヤマリンドウ、
「ほら、コマクサが咲いているよ」
遊歩道に張られたロープの直ぐ下に一株だけ、濃いピンクの可憐な花がある。
夫婦池も雪に覆われていた。
第三展望台には、人だかりができており、その前に三脚に固定されたカメラが連なっている。
「皆んな、何を狙っているのだろうね」
写真家の一人が私を手招きした。
ファインダーを覗いて見なさいとの仕草をする
「うわ! 綺麗」
そこには、黒と黄橙の小鳥が這松の先に見られた。
「何と言う鳥ですか」
私と代ってファインダーを覗いたKIが尋ねる。
「これはノゴマ」
カメラマンの一番の狙いはギンザンマシコという真赤な色をした鳥らしい。
北海道の高山帯にのみ繁殖し、氷河期の証人と呼ばれている。
姿見の駅舎にある土産売り場の一角でコーヒーを飲んだ。
「少し、ガスがかかってきたようね」
私は、これから散策するだろう同級生が旭岳の勇壮を見れないことが悔やまれた。
その夜は、旭岳温泉湧駒荘で大学の同窓会おこなわれた。
出席者は21名で楽しい会であった。最後に、
「来年は倉敷でしよう」
ということになり、当然私が幹事とされた。
(完)

にほんブログ村
今年は、大雪山の麓・旭岳温泉で大学の同窓会をするという。
47年前のことが思い出される。

Fと2人でテントを担いで登ったことを。
朝、晴れて旭岳が姿見の池に奇麗に写っていた。
それが、頂上に着いたときは激しい濃霧で1メートル先も見えなくなった。
黒岳へ向かっていたがあえ無く引きかえしたのだ。
「リベンジして快晴の北海道の頂上に立ってみよう。」
6月末は、ゴンドラが動きただしているので、2時間程度で頂上まで行けるだろう。
昨年の骨折でプレートとボルトがまだ足首に入っているがゆっくり登れば問題ないはずだ。
幹事のWに問い合わせると、アクセスの情報をメールしてくれた。
岡山、千歳の便で行くと、公共機関でその日のうちに旭岳温泉に入ることは無理である。
そうだ、KIを誘おう。
早速メールすると、返信がくる。
「前日まで、韓国に旅行しているが、大丈夫、一緒に行けます」
6月27日、私は、岡山発ANA379便で千歳に向かっていた。
スーパ旅割では1万3千7百円と割安である。
天候が良く、新千歳空港には10分ほど早く着いた。
待ち合わせの駐車場に向い、新しく出来た国際線への通路を行くと、見慣れた女性がこちらに向かってくる。
「飛行機が早く着くことなんてあるの」
「夕張から高速を降りて、富良野、美瑛を通って旭岳温泉にゆくね。その方が景色も良いし、時間的にも旭川経由とそんなに変わらないと思うよ」
私は、ホテルの夕食の時間が気になっていたが、7時半までに着けば良いので大丈夫だろうとKIの運転にまかせた。
夕張ICより274号線を占冠(しむかっぷ)に向った。
富良野から美瑛に向う237号線沿いには美しい田園風景が広がる。
そして、十勝岳、美瑛岳の雄姿が近づいてくる。
「すばらしいね。トムラウシも見えるよ。こんな景色初めて」
やがて、美瑛の街を過ぎ、旭岳への213号線に入り、山道を登っていく。
前方に西日を浴びた旭岳が現れる。
「展望駐車場があるよ、寄ってみる」
降りてみると、樹林の間から湖が広がる。忠別湖と記されている。
「うあ! 凄い旭岳が表面に聳えている」
「逆さ旭岳が綺麗」
こんな眺めの良いところがあるとは知らなかった。
正に絶景である。
裾野を長く伸ばした旭岳が、火山灰に薄らと残雪を被り、それが夕日を浴び薄ピンクに輝いている。
「後姿を入れて、写真とつてね」
KIの所望である。
確かに、バツクスタイルだと、アルプスの乙女と云って通るかもしれない。
液晶板を見るとかなり良い構図だと微笑む。
姿見の池まで下山すると、直ぐ近くに立派な石室がある。
47年前は、まさに石室そのものであったが、石を散りばめた壁もハイカラで、室内も明るい。
ゴンドラからは、散策客が多く吐き出されてくる。

彼らに交じり、夫婦池の方をまわり我々も散策する。
メアカンキンバエ、イワブクロウ、エゾイソツツジにエゾコザクラ。
KIは、途中であった夫婦連れと高山植物談義を始める。
「このツガザクラに似た白い花は何でしょうね」
後で分かったのであるがジムカデという名である。
まだ早いかなと思われたチングルマも一角に白い小さな花を付けていた。
小さなピンクの花はエゾツガザクラ、薄紫のミヤマリンドウ、
「ほら、コマクサが咲いているよ」
遊歩道に張られたロープの直ぐ下に一株だけ、濃いピンクの可憐な花がある。
夫婦池も雪に覆われていた。
第三展望台には、人だかりができており、その前に三脚に固定されたカメラが連なっている。
「皆んな、何を狙っているのだろうね」
写真家の一人が私を手招きした。
ファインダーを覗いて見なさいとの仕草をする
「うわ! 綺麗」
そこには、黒と黄橙の小鳥が這松の先に見られた。
「何と言う鳥ですか」
私と代ってファインダーを覗いたKIが尋ねる。
「これはノゴマ」
カメラマンの一番の狙いはギンザンマシコという真赤な色をした鳥らしい。
北海道の高山帯にのみ繁殖し、氷河期の証人と呼ばれている。
姿見の駅舎にある土産売り場の一角でコーヒーを飲んだ。
「少し、ガスがかかってきたようね」
私は、これから散策するだろう同級生が旭岳の勇壮を見れないことが悔やまれた。
その夜は、旭岳温泉湧駒荘で大学の同窓会おこなわれた。
出席者は21名で楽しい会であった。最後に、
「来年は倉敷でしよう」
ということになり、当然私が幹事とされた。
(完)
にほんブログ村
鹿島槍、五竜・キレット縦走(S-51)
2010年09月27日
爺が岳から鹿島槍へ

6月も押し迫ったころSよりメールが来た。
海の日を絡めた連休に鹿島槍・五竜にTSと三人で登ろうと云う。
以前から話していた件であり、直ぐOKの返信をする。
計画書を見るとかなりのハードスケジュールである。
特に、鹿島槍から五竜への縦走は難所の大キレットがある。
ただ、山小屋泊まりで荷物も軽いし、今年は瀬戸大橋マラソンもあり走り込んでいたので体力的には少しは自信があった。
出発近くなり、Sの山友達のEも参加することになった。Eは、鹿島槍を往復し途中テント泊すると云う。
7月18日、午後8時にSの車が来る。
TSとは1年ぶりである。途中Eを拾い高速に入る。
何時ものようにSの運転する車は夜の高速をひた走る。
山陽、中国、名神、中央自動車道を乗継ぎ、岡谷ジャンクションから長野自動車道に入り豊科で高速を降りる。
県道57号、国道147号、県道45号を抜け扇沢駅に着く。
宵闇の空が薄ら明るみを帯びてくる。
駅舎には、数組のパーティが仮眠を取っていた。
3時50分、ヘッドライトを灯し登山口をスタートする。
1時間ほど登ると空は白味を増し、北方に残雪を抱いた濃紺の山々が稜線を現してきた。
5時、ケルン到着。
「なにこれ、松の木の下にちょっと石を積んだだけみたい」
10分程行くと左方の山の頂に朝日が当たりきれいだ。
4人は黙々と歩き、6時半には石のベンチを通過する。
快調に高度を稼いで行く。ダケカンバの中、柏原新道を種池山荘に向かう。
7時10分、山荘到着。
すぐ前に爺ヶ岳南峰が聳える。
樹林帯を抜け、視界が開け剣岳が現れる。立山連峰も広がる。
「素晴らしいな。こんな綺麗な裏立山をみるのは初めてだ」
よく山に登っているSも感激する。
初めての私は当然である。密かに
「私は晴れ男だ」
とニンマリする。
前方に2つのピークを持つ鹿島槍がどっしりと聳える。
8時10分、爺ヶ岳南峰登頂。
日が照り、サングラス着け、シャッを脱ぐ。
更に30分歩き、爺ヶ岳中峰に至る。
昼の雲 船のさまして動かざる
鹿島槍てふ 藍の山かな
三好達治が詠っている。
「船のさまして動かざる」は昼の雲であるが、私には双耳峰をつなぐ吊尾根の稜線はどっしり動かない船のようにも見えた。
鹿島槍を眺めながら、爺ヶ岳北峰を越えていく。
「爺ヶ岳は3つ山頂があり長いな」
快晴で気分はいいが、ひたすら歩いてきたので少し疲れが出てきた。
9時40分、冷池山荘到着。
コースタイムより1時間半ほど早い。
多くの登山者はここまでが1日の行程である。
テントを担いでいるEは、遅れているが今日は此処に設営するはずである。
我々は、鹿島槍を越えてキレット小屋まで行かねばならない。
小休止してまた歩き始める。
ミヤマキンポウケ、シナノキンバエ、テガタチドリの花が道端から癒してくれる。
布引山2683メートルまでは緩やかな登りである。
松本清張の小説「遭難」の舞台だなと思いながら歩を進める。
青空に薄い筋状の雲が、その下に剱岳が残雪を渓谷に残し聳える。
爺ヶ岳から見たより可なりの迫力だ。
鹿島槍の主峰、南峰を目指し尾根を登る。
S、TSのペースが早いのと、朝4時からの強行軍でさすがに疲れが出始める。
12時、頂上制覇。快晴の下、まさに360度のパノラマである。
裏立山連峰、北峰の後ろには五竜岳、南方には遠く南アルプスの山々が見られる。
鹿島槍の頂上で暫し休憩と眺望を楽しむ。
そして又歩き始める。
北峰の向こうに大キレツトがあり、そこにある山小屋まで行かなければならなのだ。
SとTSは相変わらず快調なペースで北峰を目指す。
「おーい。Sさん、北峰はスキップするよ」
私は、迂回路を先に行き、キレツトを覗く。
確かに絶壁に近いルートであるが、登山者がこれだけ往復しているのだから私に行けないことはなかろう。
SとTSの姿が後方に見えないので待つことにする。
午後になりやや雲が広がり五竜の山脈が見えない。
後方の岩陰から彼らの姿が見えて来たので再びキレットを下ってゆく。
さすがに評判の難コースだ。
鎖、梯子の連続で両サイド絶壁が続く。
約2時間、ひたすら足場に気をくばり進む。
大きな岩を登ると下方が開ける。
「キレット小屋だ」
歓声というより安堵に近い。
今日の歩行は此処までだ。
午後2時キレツト小屋到着。
予定より2時間ほど早い。
小屋には、五竜岳から来た登山者が多く寛いでいた。
夕食まで時間がある。
昨夜は車で寝ていないし、連続して10時間歩いてきたので、小屋の布団に横になった。
我々の夕食は5時からであった。
焼き魚に野菜付きハンバーグ、沢庵に味噌汁。
「山小屋の食事としては、美味しいな」
彼方此方の山小屋に泊まっているSが言う。
「このキレットで資材の運搬が大変なのに、この食事には関心だ」
と私も共感する。
ただ、ご飯のお変わりは
「どうしてもお腹がいっぱいにならない人だけにして欲しい」
とのことだった。
あすの朝食は朝一番の4時半にお願いできた。
その夜はぐっすり眠った。
五竜岳へ
4時に起き、準備してから朝食をとる。
飲料水を食道の薬缶からペットボトルに満たし、5時15分に出発した。
あいにくの曇り空で霧雨混じりなのでカッパを着てゆく。
鎖と梯子続きで足場の悪いキレットが続く。
口ノ沢コルを過ぎる頃から反対方向から来る登山者と行き交うようになる。
20人以上の団体に合うと、かなり待たなければならない。
中高年の婦人が多く、中には怖がってなかなか前に進めない人もいる。
我々は各自マイペースで行き、目印のある場所で待つことにした。
北尾根の頭で3人が合流する。
キレツトはほぼ終わりここから五竜岳まで3時間の登りとなる。
TSに遅れないように急坂を一歩一歩登っていく。
G4、G5のピークを過ぎしばらく行くと
「もう直ぐ、五竜の頂上ですよ」
とTSが言う。
私は、もっと掛かると思っていたので安堵した。
彼の言う通り10分ほどで頂上の標識が見え、そこにSが待っていた。
8時40分、2810メートル五竜岳登頂。
ガスがかかり眺望は叶わなかったが昨日からの歩行とキレット越えに満足し、オニギリを食べウイスキーを一口飲んで踏破を祝した。
「あとは下りだ、得意の大股歩きができる」
私は、五竜小屋まで一気に下った。
「JNさん、早いね。付いていくのがようやくですよ」
健脚のTSが両ストックで付いてくる。
五竜小屋は、宿泊客と休憩客でいっぱいだった。
何とか席を確保して「どん兵衛」を注文し食べる。
温かいものは何でも旨い。
一休みしてまた速足で遠見尾根を下って行く。
大遠見山、中大遠山、小大遠山のピークを超えお花畑に至る。
アズマギクやオオバギボウシが道端に咲いている。
ケルンのある地蔵の頭には12時50分に着いた。
予定より2時間早い。
空も時々雲が流れ八方尾根が顔をだす。
日本平には観光客が多かった。
リフトの頂上駅前に広がる広大な高山植物園を楽しんでいるようだ。
テレキャビンで遠見駅に降りると、爺ヶ岳をピストンしたEが車を回してくれ迎てくれた。
彼は鹿島槍も登ったというのでその健脚には驚いた。
(完)

にほんブログ村

6月も押し迫ったころSよりメールが来た。
海の日を絡めた連休に鹿島槍・五竜にTSと三人で登ろうと云う。
以前から話していた件であり、直ぐOKの返信をする。
計画書を見るとかなりのハードスケジュールである。
特に、鹿島槍から五竜への縦走は難所の大キレットがある。
ただ、山小屋泊まりで荷物も軽いし、今年は瀬戸大橋マラソンもあり走り込んでいたので体力的には少しは自信があった。
出発近くなり、Sの山友達のEも参加することになった。Eは、鹿島槍を往復し途中テント泊すると云う。
7月18日、午後8時にSの車が来る。
TSとは1年ぶりである。途中Eを拾い高速に入る。
何時ものようにSの運転する車は夜の高速をひた走る。
山陽、中国、名神、中央自動車道を乗継ぎ、岡谷ジャンクションから長野自動車道に入り豊科で高速を降りる。
県道57号、国道147号、県道45号を抜け扇沢駅に着く。
宵闇の空が薄ら明るみを帯びてくる。
駅舎には、数組のパーティが仮眠を取っていた。
3時50分、ヘッドライトを灯し登山口をスタートする。
1時間ほど登ると空は白味を増し、北方に残雪を抱いた濃紺の山々が稜線を現してきた。
5時、ケルン到着。
「なにこれ、松の木の下にちょっと石を積んだだけみたい」
10分程行くと左方の山の頂に朝日が当たりきれいだ。
4人は黙々と歩き、6時半には石のベンチを通過する。
快調に高度を稼いで行く。ダケカンバの中、柏原新道を種池山荘に向かう。
7時10分、山荘到着。
すぐ前に爺ヶ岳南峰が聳える。
樹林帯を抜け、視界が開け剣岳が現れる。立山連峰も広がる。
「素晴らしいな。こんな綺麗な裏立山をみるのは初めてだ」
よく山に登っているSも感激する。
初めての私は当然である。密かに
「私は晴れ男だ」
とニンマリする。
前方に2つのピークを持つ鹿島槍がどっしりと聳える。
8時10分、爺ヶ岳南峰登頂。
日が照り、サングラス着け、シャッを脱ぐ。
更に30分歩き、爺ヶ岳中峰に至る。
昼の雲 船のさまして動かざる
鹿島槍てふ 藍の山かな
三好達治が詠っている。
「船のさまして動かざる」は昼の雲であるが、私には双耳峰をつなぐ吊尾根の稜線はどっしり動かない船のようにも見えた。
鹿島槍を眺めながら、爺ヶ岳北峰を越えていく。
「爺ヶ岳は3つ山頂があり長いな」
快晴で気分はいいが、ひたすら歩いてきたので少し疲れが出てきた。
9時40分、冷池山荘到着。
コースタイムより1時間半ほど早い。
多くの登山者はここまでが1日の行程である。
テントを担いでいるEは、遅れているが今日は此処に設営するはずである。
我々は、鹿島槍を越えてキレット小屋まで行かねばならない。
小休止してまた歩き始める。
ミヤマキンポウケ、シナノキンバエ、テガタチドリの花が道端から癒してくれる。
布引山2683メートルまでは緩やかな登りである。
松本清張の小説「遭難」の舞台だなと思いながら歩を進める。
青空に薄い筋状の雲が、その下に剱岳が残雪を渓谷に残し聳える。
爺ヶ岳から見たより可なりの迫力だ。
鹿島槍の主峰、南峰を目指し尾根を登る。
S、TSのペースが早いのと、朝4時からの強行軍でさすがに疲れが出始める。
12時、頂上制覇。快晴の下、まさに360度のパノラマである。
裏立山連峰、北峰の後ろには五竜岳、南方には遠く南アルプスの山々が見られる。
鹿島槍の頂上で暫し休憩と眺望を楽しむ。
そして又歩き始める。
北峰の向こうに大キレツトがあり、そこにある山小屋まで行かなければならなのだ。
SとTSは相変わらず快調なペースで北峰を目指す。

「おーい。Sさん、北峰はスキップするよ」
私は、迂回路を先に行き、キレツトを覗く。
確かに絶壁に近いルートであるが、登山者がこれだけ往復しているのだから私に行けないことはなかろう。
SとTSの姿が後方に見えないので待つことにする。
午後になりやや雲が広がり五竜の山脈が見えない。
後方の岩陰から彼らの姿が見えて来たので再びキレットを下ってゆく。
さすがに評判の難コースだ。
鎖、梯子の連続で両サイド絶壁が続く。
約2時間、ひたすら足場に気をくばり進む。
大きな岩を登ると下方が開ける。
「キレット小屋だ」
歓声というより安堵に近い。
今日の歩行は此処までだ。
午後2時キレツト小屋到着。
予定より2時間ほど早い。
小屋には、五竜岳から来た登山者が多く寛いでいた。
夕食まで時間がある。
昨夜は車で寝ていないし、連続して10時間歩いてきたので、小屋の布団に横になった。
我々の夕食は5時からであった。
焼き魚に野菜付きハンバーグ、沢庵に味噌汁。
「山小屋の食事としては、美味しいな」
彼方此方の山小屋に泊まっているSが言う。
「このキレットで資材の運搬が大変なのに、この食事には関心だ」
と私も共感する。
ただ、ご飯のお変わりは
「どうしてもお腹がいっぱいにならない人だけにして欲しい」
とのことだった。
あすの朝食は朝一番の4時半にお願いできた。
その夜はぐっすり眠った。
五竜岳へ
4時に起き、準備してから朝食をとる。
飲料水を食道の薬缶からペットボトルに満たし、5時15分に出発した。
あいにくの曇り空で霧雨混じりなのでカッパを着てゆく。
鎖と梯子続きで足場の悪いキレットが続く。
口ノ沢コルを過ぎる頃から反対方向から来る登山者と行き交うようになる。
20人以上の団体に合うと、かなり待たなければならない。
中高年の婦人が多く、中には怖がってなかなか前に進めない人もいる。
我々は各自マイペースで行き、目印のある場所で待つことにした。
北尾根の頭で3人が合流する。
キレツトはほぼ終わりここから五竜岳まで3時間の登りとなる。
TSに遅れないように急坂を一歩一歩登っていく。
G4、G5のピークを過ぎしばらく行くと
「もう直ぐ、五竜の頂上ですよ」
とTSが言う。
私は、もっと掛かると思っていたので安堵した。
彼の言う通り10分ほどで頂上の標識が見え、そこにSが待っていた。
8時40分、2810メートル五竜岳登頂。
ガスがかかり眺望は叶わなかったが昨日からの歩行とキレット越えに満足し、オニギリを食べウイスキーを一口飲んで踏破を祝した。
「あとは下りだ、得意の大股歩きができる」
私は、五竜小屋まで一気に下った。
「JNさん、早いね。付いていくのがようやくですよ」
健脚のTSが両ストックで付いてくる。
五竜小屋は、宿泊客と休憩客でいっぱいだった。
何とか席を確保して「どん兵衛」を注文し食べる。
温かいものは何でも旨い。
一休みしてまた速足で遠見尾根を下って行く。
大遠見山、中大遠山、小大遠山のピークを超えお花畑に至る。
アズマギクやオオバギボウシが道端に咲いている。
ケルンのある地蔵の頭には12時50分に着いた。
予定より2時間早い。
空も時々雲が流れ八方尾根が顔をだす。
日本平には観光客が多かった。
リフトの頂上駅前に広がる広大な高山植物園を楽しんでいるようだ。
テレキャビンで遠見駅に降りると、爺ヶ岳をピストンしたEが車を回してくれ迎てくれた。
彼は鹿島槍も登ったというのでその健脚には驚いた。
(完)
にほんブログ村
春・快晴の草津白根山(山と友と凡人S-57)
2010年08月26日
孫

息子に2人目の子が出来た。男の子とのことで目出度いことだ。
東京に行っていた妻が、上のチエリを連れて帰ってきた。
その日から、孫と犬のお守りの日々が続いた。
カノンがチエリを意識して付きまわり興奮する。
獣医から、アレルギーで興奮すると良くないと注意されているのだ。
アンパンマンやNHKの子供番組のCDを見せたり、絵を書かせたり、散歩したり・・・
信州大学から突然メールがきた。
信州大学繊維学部創立百周年記念関連事業の一環として開催される、「疾走するファイバー展」常設展示開館記念式典への招待である。
5年ほど前、私は繊維学会の理事をしていた時、日本科学未来館が主催する同展示に協力し「究極の黒」を出品した。それが、信州大学に常設されることになり招待状がきたのだ。
このことだけで、上田まで出かける気は無かったが、孫を東京に連れ戻す時期と重なるし、上田まで行ったら、帰りにどこかの山に登ることも出来ると期待し出席することにした。
4月23日、チエリと新幹線に乗る。
愚図ることもなく、座席で外の景色を見たり、アンパンマンの本を見たり機嫌が良かった。
車内販売の弁当を私と一緒に美味しそうに食べた。
後ろの席の老夫婦から、
「お利口さんでしたね」
と降りるときに褒められた。
荻窪で下車し、改札口を出ると、母親が迎えに来ていた。
20日間ほど離れていたので最初はキョトンとしていたチエリであるが、じき思い出し抱きついていった。
練馬の親の家に行き、2番目の孫と対面した。
ぐっすり良く寝ている。
トモハルと命名したという。
24日、式典は午後3時からである。
それまで時間があるので、桜祭りをしている上田城に行った。
前回来たのは秋であったが、城を覆う桜の時期は素晴らしい。
信州大繊維学部は駅から歩いて15分の所にある。受付を終え控室入ると、東工大の菊谷先生や科学未来館の潮田さんがいた。講演が始まり、その後展示会の除幕式が行われた。
大前先生や、Oも参加している。
展示場には、私の提供した「究極の黒」があった。その夜の懇親会では、多くの先生がたと話し楽しく過ごすことが出来た。千円の会費であるが、ご馳走も飲み物も沢山あった。
終わった後、Oの研究室を見学し、彼の単身赴任しているアパートに泊まらせてもらった。
草津白根山へ
25日、6時21分発の新幹線始発電車に乗り込む。
佐久平を過ぎると浅間山が青空をバックに美しい。
島崎藤村が千曲川スケッチに書いたのはこのあたりから小諸にかけてだろうと思いながら車窓から見とれる。
7時、高崎駅で吾妻線に乗り換える。
長野原草津まで1時間20分、のどかな景色を眺めながら旅を楽しむ。
長野原草津からバスで草津温泉へ、更に乗り換え白根火山まで行く。
休憩所前のベンチで地図を見ながらルートを確かめる。
観光客が多く、皆な湯釜目指して登っている。
私は、逢ノ峰への道を行くが、直ぐ雪道となり、登山者は誰もいない。
足跡も殆ど無い。
〈春山登山の人が多くいると思ってきたのに〉
頂上の展望台まで行くとアイゼンを付けた先客がいた。
「こんにちは、白根山に登る人は少ないのですね」
「白根山の展望台ルートは危険で通行止めになっている様ですよ」
先客が8本爪のアイゼンを付けているので、私も、4本爪の簡易アイゼンを付けていると
「それでは、あまり効果無いでしょう」
と横から言う。
リフト乗り場の方へ降りてゆくと足跡が消えていて、林の中なの雪道でルートが判りづらかった。
地図と方位から予想される方向に下山すると、リフトが見えてきた。
リフトは動いておらず、その上が通行禁止になっているという。
「行けるところまで行ってみましょうか」
リフト下の道を登っていく。
「誰も登った形跡はないし、ルートを見つけるのも難しそうなので諦めましょう」
「それでは、戻って湯釜に行ってきます」
骨折のプレートとボルトが足に埋まっている身であり、無理は禁物である。
それに、今日中に倉敷まで帰るには時間的にも余裕はない。
アスファルトの道を白根火山口まで戻り、多くの観光客と共に湯釜への道を登って行った。
およそ10分で素晴らしい景色が開けた。
所々に残雪を散りばめた外輪山の中央に黄緑の水を貯える湯釜
快晴の空をバックに、薄らと紺色の稜線を描く北アルプスの連山
カメラを抱え、私は暫し見とれていた。
「綺麗ですね」
「苦労して登ってきたかいがありましたよ」
登山経験のない、一般の観光客が歓声を上げている。
白根火山の休憩所に戻り、ベンチでおにぎりを食べた。
草津温泉行きバスの発車時間まで1時間近くある。
土産物売り場で白根山のバッチを買ったり、コーヒーを飲んだりして時間をつぶした。
草津温泉の街も観光客で賑わっていた。
どこか温泉に入ろうかと思い、街を歩いた。
温泉街の中央広場は、源泉が豊富に湧き出ている。
近くに足湯があつたので、私も浸かり、暫し足の疲れを癒した。
温泉に入った気分になり、早めに帰ることにした。
帰りの吾妻線の車窓から、今話題の八場ダムの工事現場が見えた。
完

にほんブログ村

にほんブログ村

息子に2人目の子が出来た。男の子とのことで目出度いことだ。
東京に行っていた妻が、上のチエリを連れて帰ってきた。
その日から、孫と犬のお守りの日々が続いた。
カノンがチエリを意識して付きまわり興奮する。
獣医から、アレルギーで興奮すると良くないと注意されているのだ。
アンパンマンやNHKの子供番組のCDを見せたり、絵を書かせたり、散歩したり・・・
信州大学から突然メールがきた。
信州大学繊維学部創立百周年記念関連事業の一環として開催される、「疾走するファイバー展」常設展示開館記念式典への招待である。
5年ほど前、私は繊維学会の理事をしていた時、日本科学未来館が主催する同展示に協力し「究極の黒」を出品した。それが、信州大学に常設されることになり招待状がきたのだ。
このことだけで、上田まで出かける気は無かったが、孫を東京に連れ戻す時期と重なるし、上田まで行ったら、帰りにどこかの山に登ることも出来ると期待し出席することにした。
4月23日、チエリと新幹線に乗る。
愚図ることもなく、座席で外の景色を見たり、アンパンマンの本を見たり機嫌が良かった。
車内販売の弁当を私と一緒に美味しそうに食べた。
後ろの席の老夫婦から、
「お利口さんでしたね」
と降りるときに褒められた。

荻窪で下車し、改札口を出ると、母親が迎えに来ていた。
20日間ほど離れていたので最初はキョトンとしていたチエリであるが、じき思い出し抱きついていった。
練馬の親の家に行き、2番目の孫と対面した。
ぐっすり良く寝ている。
トモハルと命名したという。
24日、式典は午後3時からである。
それまで時間があるので、桜祭りをしている上田城に行った。
前回来たのは秋であったが、城を覆う桜の時期は素晴らしい。
信州大繊維学部は駅から歩いて15分の所にある。受付を終え控室入ると、東工大の菊谷先生や科学未来館の潮田さんがいた。講演が始まり、その後展示会の除幕式が行われた。
大前先生や、Oも参加している。
展示場には、私の提供した「究極の黒」があった。その夜の懇親会では、多くの先生がたと話し楽しく過ごすことが出来た。千円の会費であるが、ご馳走も飲み物も沢山あった。
終わった後、Oの研究室を見学し、彼の単身赴任しているアパートに泊まらせてもらった。
草津白根山へ
25日、6時21分発の新幹線始発電車に乗り込む。
佐久平を過ぎると浅間山が青空をバックに美しい。
島崎藤村が千曲川スケッチに書いたのはこのあたりから小諸にかけてだろうと思いながら車窓から見とれる。
7時、高崎駅で吾妻線に乗り換える。
長野原草津まで1時間20分、のどかな景色を眺めながら旅を楽しむ。
長野原草津からバスで草津温泉へ、更に乗り換え白根火山まで行く。
休憩所前のベンチで地図を見ながらルートを確かめる。
観光客が多く、皆な湯釜目指して登っている。
私は、逢ノ峰への道を行くが、直ぐ雪道となり、登山者は誰もいない。
足跡も殆ど無い。
〈春山登山の人が多くいると思ってきたのに〉
頂上の展望台まで行くとアイゼンを付けた先客がいた。
「こんにちは、白根山に登る人は少ないのですね」
「白根山の展望台ルートは危険で通行止めになっている様ですよ」
先客が8本爪のアイゼンを付けているので、私も、4本爪の簡易アイゼンを付けていると
「それでは、あまり効果無いでしょう」
と横から言う。
リフト乗り場の方へ降りてゆくと足跡が消えていて、林の中なの雪道でルートが判りづらかった。
地図と方位から予想される方向に下山すると、リフトが見えてきた。
リフトは動いておらず、その上が通行禁止になっているという。
「行けるところまで行ってみましょうか」
リフト下の道を登っていく。
「誰も登った形跡はないし、ルートを見つけるのも難しそうなので諦めましょう」
「それでは、戻って湯釜に行ってきます」
骨折のプレートとボルトが足に埋まっている身であり、無理は禁物である。
それに、今日中に倉敷まで帰るには時間的にも余裕はない。
アスファルトの道を白根火山口まで戻り、多くの観光客と共に湯釜への道を登って行った。
およそ10分で素晴らしい景色が開けた。
所々に残雪を散りばめた外輪山の中央に黄緑の水を貯える湯釜
快晴の空をバックに、薄らと紺色の稜線を描く北アルプスの連山
カメラを抱え、私は暫し見とれていた。
「綺麗ですね」
「苦労して登ってきたかいがありましたよ」
登山経験のない、一般の観光客が歓声を上げている。
白根火山の休憩所に戻り、ベンチでおにぎりを食べた。
草津温泉行きバスの発車時間まで1時間近くある。
土産物売り場で白根山のバッチを買ったり、コーヒーを飲んだりして時間をつぶした。
草津温泉の街も観光客で賑わっていた。
どこか温泉に入ろうかと思い、街を歩いた。
温泉街の中央広場は、源泉が豊富に湧き出ている。
近くに足湯があつたので、私も浸かり、暫し足の疲れを癒した。
温泉に入った気分になり、早めに帰ることにした。
帰りの吾妻線の車窓から、今話題の八場ダムの工事現場が見えた。
完
にほんブログ村
にほんブログ村


